●Krystal Meyers 「ダイイング・フォー・ア・ハート」 91点 ジャンル:ハードロック メロディアスハードロック アメリカンハードロック パンク メタル (2006/10/25) 1. コライド/自分革命 2. リヴ 3. ビューティー・オブ・グレイス 4. ザ・シチュエーション 5. ラヴ・イズ・オン・ザ・ラン 6. オンリー・ユー・メイク・ミー・ハッピー 7. トゥゲザー 8. シェイク・イット・オフ 9. スタンド・アンド・スクリーム 10. ハレルヤ~聖なる夜の願い <問題点・注意点> 1・若干アップテンポの曲で類型化している 2・前作「ラヴリー・トレーシズ」のような圧倒的なバラード曲がない
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「ポスト アヴリル・ラヴィーン」最有力候補で今年5月に日本でビューをしたクリスタル・マイヤースの2ndアルバム。わずか5ヶ月と発売と恐ろしく短期間での発売となるが、傑作である1stアルバムに全く引けをとらない、いやそれをも上回る素晴らしい作品だ。 作風は前作と同様、突進力のあるハードロック、ラウドロック、パンクロック。しかし、前作に比べるとその強靭さや重さ、攻撃性などに関し更なる進化を見せている。特に、アメリカアーティスト的な痛快さやキュートさを押し出しながらも、一聴、4・8曲目のようなメロディックスピードメタル的な様式美や哀愁すら感じさせる展開は、中々面白い。前作よりさらに際立った彼女の個性だとも言えよう。 そして、相変わらずムラのない安定した作曲力も顕在で全編通し安心して聴いていられる。ほんと、大したものだ。今ハードロック系統でここまで安定して良曲を送り出せるアーティストは極めて珍しいと言える。 しかし、それでも若干アップテンポの曲において歌唱も曲調も類型化の兆しが見られるのが少し気になるところであったが・・・。それと、前作の「.ラヴリー・トレーシズ」のようなかなりの哀愁を携えた壮大なバラード曲が今作になかったのも・・・。この辺りのところは、期間が短いが故の作りこみの甘さが出たか。 まあこの点は次作への期待にするとして、洋楽だから・メジャー作品だからということで毛嫌いせずに一度お聴きになってもいいのではと思える作品。
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2006/10/29 21:35|アルバムレビュー |トラックバック:0 |コメント:0 |▲
・評価: 95点 (「バツ丸心の名画選入り!!」) (私のようなあおい様ファンは評価不能!! 今作を見て成仏しなさい!!)「あなたにとって最高にして最も愛する女優は誰ですか?」 こう尋ねられたら迷わず私はこう答えるだろう。 外国人なら、オードリー・ヘプバーン 日本人なら、宮あおい と・・・。 今までは、演技が良くても、映画作品として面白くない作品ばかりに出ており、評論家受け・マニア受けする女優としてのイメージが強かった宮あおい。 ようやく「NANA」や「純情きらり」といったメジャーの良作に出演し、その魅力と実力を発揮した彼女。しかし、彼女の女優としてのポテンシャルを今までの作品では完璧に引き出せていなかったようだ・・・。 断言する。「ただ、君を愛してる」は現時点で最高最強の宮あおいを見ることが出来る傑作映画であると・・・。 映画を見て泣いたのは本当に本当に久しぶり。10年ぶりではないだろうか・・・。
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<あらすじ> 一通の手紙を手に持った誠人(玉木宏)はクリスマスで賑わうニューヨークに居た。2年前突如自分の前から姿を消した静流(宮あおい)に会う為に・・・。 時は6年前に遡る・・・ 皮膚病のため塗り薬が欠かせず、薬の臭いのせいで他人に迷惑を欠けているのでは・嫌われているのではとのコンプレックスを抱えている彼は、人との接触が苦手で大学の入学式にも出ずにいた。適当に学校周辺をうろついていると、交通量が多すぎて渡れるはずのない横断歩道を必死に渡ろうとしている幼い容姿と服装をした変わった女の子、静流と出会う。自分の忠告を無視し、それでも人の善意に期待して必死に横断歩道を渡ろうとしている彼女に半ば呆れ、半ばほほえましいものを感じてしまった彼は、いつの間にか彼女を被写体に趣味である写真を撮ってしまっていた・・・。そんな彼の視線を感じた彼女は、この瞬間自分に興味を持ってくれた誠人に恋をした・・・。 一方の誠人も、大学生活に馴染めない日々を過ごしていたが、コンプレックスを抱えた変わり者同士、不思議と彼女とだけは上手く話すことが出来た。そんな誠人に益々思いを募らせていく静流。彼に会いたい、彼と一緒に居たいという一心で彼女も彼の趣味である写真を始めるようになり、日々学校裏の森へと通い詰め彼と一緒に写真を撮り続けていた・・・。 しかし、そんな彼女の気持ちに彼は全く気づかず、大学内でも人気者であるみゆき(黒木メイサ)に片思いをし続けていた。そのことが彼女をこの上なく苦しめていく。「これから成長して、誠人がびっくりするぐらいに、いい女になるんだから、後悔してもしらないから」 と彼に必死に訴えても、笑って軽く聞き流されるだけ・・・。 そんなある日、静流は写真コンクールへの応募用に例の森で誠人と自分とのキス写真を撮りたいと言い出す。初めてのキス。だが、それは、2人の気持ちと運命とを大きく揺り動かしていく・・・。そして彼女は彼の前から突如姿を消す・・・。<感想など> 今作は、以前公開された堤幸彦監督の「恋愛寫眞」を元に、「いま、会いにゆきます」で有名となった市川拓司が書き下ろした小説、「恋愛寫眞~もう一つの物語」を映像化したものである。 こういった点からもすぐ分かるように、今作はいわゆるここ数年の邦画界で良くも悪くも主流になっている、鑑賞者をとにかく泣かせることに主眼が置かれた「感動系」「お泣かせ系」映画。人の死で安易に泣かせよう・感動させようとするお安さ・あざとさがありありとし、エンターテイメントの本懐から外れていると思っていることもあり、個人的に最も忌み嫌っているジャンルであるのだが・・・。今までこの手の映画で泣いたどころか、感動したことすら殆どない私。しかし、今回は勝手が違ったようだ・・・。 但し、残念ながら大きな不満がある。それは脚本とそれに絡むキャラ設定。終盤の展開やそこで明らかになる登場人物の設定、つまりは物語の核心となる謎やそれに至る話の流れがあざとすぎるということだ。核心が故にそのことをここで書くわけにはいかないが、鑑賞者を泣かすためにあまりにご都合主義的であるのだ。辻褄は合うのだがどうにも・・・。この問題がなければ、文句なしで100点をつけたのに・・・。少なくともNYに舞台を移すまでは100点以上の完璧な出来で、何一つ不満に感じるところがなかった。 これは総じて、原作の執筆者である市川の作家としての底の浅さがあるからだろう。無理やり感が否めないとってつけたような設定で安直にウケや感動を狙う・・・。突拍子もない設定を設ける場合、作品内においていかにそれにリアルさと論理性とを与えていくのかが、表現者としての作家の仕事であり責務でもあるが、この点に関しこの作家は極めて貧弱である。私が彼やこの手の作風の作品が嫌いなのは、得てしてこういう理由があるからだ。 しかし、それ以外の点に関しては上にもあるように、本当に素晴らしかった。上記問題を補って余りある良さを見せたのが、映画版「セカチュー」をはじめとした同種作品との大きな違いであろう。 まず書くべきは映像の美しさ。静流と誠人の関係の考える上で、それを示す象徴ともなっている森林の美しさは、見ているだけで心洗われるかのように美しい。流石に「恋愛寫眞」と銘打っているだけはあり、1シーン、1シーンが秀麗な写真のように構図の良さと美しさとが際立っており頭の中で鮮烈に印象に残る。シーンそれぞれが、2人の愛の軌跡の記録であるかのように・・・。それは、終盤の舞台となる、森林とは対象の高層ビルが立ち並ぶNYシーンにおいても全く変わりがない。今年見てきた邦画の中でも最高峰であろう。映像への執拗なこだわりは、市川原作の持つファンタジー性を大いに表現できており、鑑賞者を物語の世界へと引きずりこむのに大いに寄与した。 だが、このことは所詮付帯要素に過ぎない。どんなに映像や脚本が優れていたとしても、今作のような「主人公の設定がファンタジー的要素をはらむ」場合、いかに主人公を演じる役者がそれを「不自然」なくリアリティーを持たせた上で演じられるかが大きなポイントとなる。この一点のみがダメでも、映画は崩壊し見るに堪えないものとなる。そう、今作は、宮あおいが静流を演じたからこそ、高評価になったのである。他の役者が演じていたとすれば、完全に凡作・駄作の域を出なかったであろう。そう断言したい。宮あおいの演技は、それほどまでに、もはや形容しがたいまでに凄かった。 あおいファンなら、最初の5分で訪れる「横断歩道を渡ろうとしている」場面で、ヒョードルのロシアンフックを喰らった状態になるだろう。163センチと思ったよりも背が高く、既に21歳であるのに、スモックを着、幼稚なメガネをかけている彼女は、そうとは思えないほどの、下手をすると「小学生?」と言うべき圧倒的な可憐さ・無邪気さ・純粋さを見せ付ける。その笑顔の魅力たるやいったい何なんだろう。何故誠人が彼女を撮らずにいられなかったのか? 雄弁な説明は要らない。それを完璧なまでに彼女の容姿と演技とが物語っている。見ていて恐ろしくなってくるほどだ。しかし、何故これほどまで非現実的で変わり者である難役をいとも容易く、しかも何一つ不自然さなく演じきることが出来るのだろうか。静流と同じように精神的な幼さを見せる誠人を演じた玉木も非常にがんばったと言えるが、やはりそこに「役を作ってますよ」的不自然さが所々にどうしてもある。宮あおいが役とのシンクロ率400%とすれば、彼はせいぜい80%ぐらいであろう。両者が一緒に居る場面が多いだけに、その差はあまりに際立っていた。 特に印象的なのは、初めて両者が一緒に写真撮影をし、誠人の家で現像をした帰りに彼が彼女を駅まで送っていく場面と、彼がみゆきに片思いをしていることを知り、悲痛な面持ちで彼とみゆきの前から立ち去っていく学校内及び森での場面。 前者においては、とにかく彼の気を引こうとし、熱心に将来の自分を語る彼女のあまりに天真爛漫で無邪気な様に胸がときめいてしまう・・・。後者はあまりに痛々しく悲しみを発す彼女の表情に思わず涙が流れてしまった。そう、私が泣いたのは終盤のオチではなく、誠人への愛が故に苦しむ彼女を演じた宮崎の圧倒的にもの悲しい表情と演技とを見せたこの場面であるのだ。 それのみならず、彼女が少しずつ変貌を見せていく様を見事に表現した彼女の美しさと演技も本当にただただ凄いとしか言いようがない。初めて彼の前でメガネをはずし、少しだけ大人びた素顔を晒すその場面での彼女の美しさ、そして今作のクライマックスであるNYシーンでの美しさは、宮あおいファンでもそうでなくても、忘れることが出来ないのではと思えるほどで、ただただ息をのむだけ・・・。 いや、そうではなく、彼女が登場していた場面すべてが印象的で美しく、素晴らしいのである。 そして必殺の決めセリフ、「ねえ、誠人 あのキスの時 少しは愛はあったかな」 のところでは、もう涙が頬を伝っていた。 もちろん、「NANA」でも見せたモノローグの上手さは顕在どころかさらにパワーアップし、自らのビジュアルと演技とで盛り上げた重要場面をさらに盛り上げ、鑑賞者を感動の渦へと引きずり込む。 もう一人の主役である玉木宏をはじめ今作では、小出恵介、黒木メイサ、大西麻恵、上原美佐ら、優れた容姿と中々の演技力や存在感を有す若手有力俳優らが脇を固めていたが、残念ながら化物じみた凄さを見せ付ける宮あおいを前にして、奮闘した玉木以外誰一人印象に残らなかった。水着姿・ウェディングドレス姿でスレンダーでバランスの良い体型とハーフならではの美貌を披露した、現役モデルでもある黒木も、「アネッサ」のCMで見せ付けたナイスバディーぶりを露出の多いビキニ姿で見せ付けた上原も、その努力虚しく宮の美しさ・存在感・圧倒的な演技を前に完全にぶっ潰されてしまっただけ。単なるスタイルの良さや顔の造形の端整さでは、彼女らの方が圧倒的に宮を凌いでいるのに・・・。「初恋」でヌードになった小峰麗奈と同様、何だか気の毒になってくる。 もう、宮一人だけ全くの別世界という感じ。「アムロが乗ったニューガンダムと一般兵が乗ったギラドーガ」「スーパサイヤ人と地球人」 とでも言うべきか・・・。彼ら彼女らには全く落ち度はない。ただ相手が悪すぎただけのこと・・・。極めてアンバランスな構図であるが、映画内容が故に何とか体裁を保つことが出来た。だが、依然として彼女が主役を張る映画に内在する問題は残ったままなのだが・・・。まあ、解決は無理だろう。 (私的に今までで唯一彼女と対抗できたのは、彼女とタイプが非常に似ている西島秀俊だけだと思っている) 物凄く長くなって恐縮だが、今作は映画的な問題、特に脚本やキャラ設定の問題などがあったが、そういった問題を問題として意識させないほどの映像の綺麗さと、そして何より宮あおいの演技と美しさが際立った映画だと言える。上記問題がなければ、それこそ歴史的な大傑作となっただろうが、それを差し引いても今作は十分に傑作映画であると言えるだろう。少なくとも宮あおいファンにとっては永遠に愛でるべき作品である。彼女の凄さを知ってもらう上でも、一人でも多くの方に見に行っていただきたいと思う。 今年は、長澤まさみ、沢尻エリカ、蒼井優、堀北真希、香椎由宇、夏帆、北川景子、加藤ローサ、藤井美菜、上野樹里、多部未華子、加藤未央、真木よう子、高橋真唯ら、素晴らしい実力・魅力を有す若手女優達が数多く銀幕に登場した1年であるが、やはりその中でも宮あおいは別格であった。いや、どの年代の女優を含めても、彼女を凌げる女優は殆どいないだろう。往年のキネマスタア像・キネマ女優像に縛られない、まさに超人俳優とも言うべき領域に唯一達しているのではないだろうか・・・。まだ彼女は21歳。いったいこの先何を我々に見せてくれるのだろうか・・・。怖すぎる。
2006/10/28 18:12|映画評 |トラックバック:0 |コメント:6 |▲
今回で最後です。 「セーラ服と機関銃」「たったひとつの恋」「スイーツドリーム」「逃亡者おりん」の4ドラマに関し書いていきます。 続きはまた。
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・逃亡者おりん ○ 深夜ドラマ、アニメの印象が強いテレビ東京の6年ぶりとなる「ゴールデンドラマ」。セガサミー一社提供でしかも時代劇であることにびっくりしたのだが・・・。このことや、約半年と通常の倍もある放送期間からもこのドラマに対する局の力の入れようを感じ取ることが出来る。 主役は青山倫子。「え~誰~」と思うかもしれないが、以前は井上訓子という名で佐藤浩一出演の「マークX」のCMをはじめ、何と100本ものCMへの出演歴があり、「裏CM女王」として知る人ぞ知る人である。所属は岩田さゆりと同じスペースクラフト。本格的な女優デビューとなる今作出演を契機に、心機一転の意味も含め芸名を本名の井上訓子から青山倫子に代えたとのこと。 それはともかく、モデル活動していただけはありスタイルの良さは抜群だ。しかも、長身細身だけでなくかなりグラマーで大人の魅力に富んでいる。古風で上品な雰囲気を携えたルックスもかなり独特で、今の若手女優にはない魅力があると言えるだろう。ただ、演技に関してはまだまだ甘い。本人の意気込みは感じ取れるので今作を通しての成長に期待したい。 話がそれてしまったが、ドラマに関しては、 「凄腕の暗殺集団に所属し、必死に暗殺の任務をこなしていくおりん。だが、将軍家を守るために行ってきたその任務が、実はそれとは全く逆の、頭領の野心を満足させるためのものに過ぎなかったことを知り、組織から命がけで抜け出す。しかし、巧妙な罠により老中襲撃の罪をも着せられた彼女は、暗殺組織からも幕府からも追われる存在となる・・・」 と、日本人が大好きな定番である「抜けもの」「逃亡者もの」ということもあり、中々に面白い。 ただ、やっぱりテレビ東京というか、ところどころに「明らかに予算不足」と思われし、セットやCGのお安さがあるのは・・・。主役のおりんの「時代考証」を無視した「コスプレ風」の衣装と追っ手を切ったときに発す「キメセリフ」はほんと当局の深夜番組のノリで見ていて笑ってしまう。こういうところを寛容な精神で「ギャグ」として片付けられる人であればいいのだが、歴史や時代劇にうるさい人にとっては、かなりのマイナス要素であろう。 それと、殺陣に関してももう少しがんばって欲しいと思う。テレビ東京に恐らくノウハウがないからなのだろうが、キレ味、迫力がなさ過ぎ。「暴れん坊将軍」や「鬼平犯科帳」などを見慣れているともう・・・。・セーラ服と機関銃 ○~◎ 長澤まさみ初主演となるドラマ。往年の名作のドラマリメイク。はっきり言ってストーリーや設定などばかばかしいと思うところがあるものの、やっぱり面白い。ややクサくはあるものの、人間感情をそれなりに描けているからだろう。小泉今日子や堤真一など脇を固める役者もいい味を出している。 私は長澤まさみの大ファンではあるが、それでも映画で見せた実力・魅力とは反対に、「功名が辻」「逃亡者」「ドラゴン桜」「優しい時間」においてお世辞でもいい演技、存在感を発揮したとは言いがたかった。 だが、今作では圧倒的な美貌とスタイル、多彩な表情を生かした持ち前のシリアスで気持ちの入った演技のみならず、彼女の新境地であろうコミカルな演技においても中々のものを見せている。いや、見事なコメディエンヌぶりだ。10月27日放送分終盤の、気合の入ったやり取りなんかはほんと、素晴らしいと思う。今作で彼女は確実に一皮剥けたのではないだろうか。もちろん、制服姿にメガネ、野暮ったい服装の数々とビジュアル的な見所も多い。 ただ、彼女に関しては、やはり連続ドラマよりも映画こそその本領が発揮できる場所だと思う。彼女はドラマ女優ではなく映画女優であるのだ。・たったひとつの恋 × ここずっと視聴率的には成功を収めている土曜9時枠の日テレドラマ。亀梨主演と、その成功の要因であるジャニーズタレント主役という方法論を今作でも繰り返したわけであるが・・・。久方の低調模様。 「フジテレビ」による執拗な「踊る」シリーズ攻勢もその理由に挙げられるだろうが、それ以上にドラマそのものが面白くないからだろう。「身分違いの恋」という定番のストーリーもあり、ポイントをきちんと抑えていけば、通常はそんな酷い内容・評価になることはないのだが・・・。 まず、気になったのが、ドラマのテンポの悪さ。流れにメリハリが全くなく全体的にタルい。見ていてあくびが出てくる。 そして、このこと以上に気になったことであり、今作の致命的な問題はキャスティングに尽きる。王道の作風であればあるほど、その優劣・成否を決めるのは、出演している役者のマンパワーになるわけだが・・・。今作は極めてそれが弱い・・・。 ヒロインの綾瀬はるかに関しては、そのルックスこそ素晴らしいが、演技に関しては、今までの調子と全く同じで成長を感じ取れない。表情も単調でうつむき加減のしぐさが目立つばかり。ここ最近に出演したドラマそのものの面白さや、役柄が彼女のルックスとマッチしていたことに助けられていたのだろう。宮あおいや堀北真希、沢尻エリカのように、作品そのものがつまらなかったときに、そうであってもその劣勢を跳ね返し、何とかドラマを見せるに足るものへと引き上げるだけの実力・魅力がまだ彼女にはない。今クールで他ドラマで主役を張っている同年代のライバル女優である長澤・堀北との差が一気に広がったように思う。 しかし、綾瀬よりももっとダメでそれこそ今作を見る意欲を大いに減じさせているのは、亀梨である。 健康さとは無縁の貧弱な体型と顔、目をむきがちでボソっとした口調、自分のことを良く見せたいのか、所々で出てくるキザな立ち振る舞い・・・。どれもが最悪だ。サプリや野ブタのときでもそうだが、根本的に演技が下手。 さらに、こういった彼の特性が今作で彼が演じる役の設定~ 「貧乏で様々な不満や鬱屈を抱えながらもそれに負けず逞しく生きている」「いつか社会や金持ち中を見返してやるという気持ちを持っている」 に全くあっていない。演じている役の人間的強さを感じないのだ。 脇を固める田中(坊主頭のやつ)も単なる小汚いチンピラにしか見えず・・・。今作で唯一マシなのは、非ジャニーズの平岡祐太ぐらいなものだろう。戸田恵梨香も悪くはないけど・・・。 これといって好きな人が出ているわけではないので、もう挫折寸前だ・・・。つまらん。・スイーツドリーム ◎ 既に先日で放送が終わってしまったが、秋のドラマ唯一の◎評価のドラマ。脱サラして仕事仲間とケーキショップを開いた老舗和菓子屋の娘・詩織(いとうあいこ)と彼女が勤める店「スイーツハート」に絡む人情ドラマを描いた作品。 体育会系的に主人公らに試練を与え続けるめまぐるしい展開と、人情味溢れる人間ドラマは、はっきり言って容易に先が読めるのであるが、それでも非常に面白い。適度に抑制が効いて臭いと思う一歩手前で抑えられている演出と、ツボをきちんと抑えたストーリー、派手さはないが堅実な各役者の演技があるからだろう。特に、主役の詩織を演じたいとうあいこ、仕事仲間役を演じた中山忍・佐藤寛子の3名はそれぞれが実に魅力的でドラマを大いに盛り上げていたように思う。いとうあいこのコミカルな演技には毎度毎度大いに笑ってしまった。年齢を感じさせない愛らしい表情もサイコー。 つまりは、~を売り出すためのプロモーションドラマ・アイドルドラマという今のゴールデンタイムにある悪しき風潮を一切感じさせなかったということだ・・・。最近はこういうしっかりした作品が本当に少ないと思う。<総評> 酷すぎた前クールに比べればだいぶマシにはなったものの、相変わらず全体的につまらない。人気漫画や小説の安易な映像化、リメイク作品や特定のアイドルを売り出さんがためのプロモーション番組といった弊害がまだまだぬぐえてはいない。 特にここ数年さらに酷くなったジャニーズ連中の跳梁跋扈は、確実にドラマの質を貶めている。もちろん、ジャニーズにも二宮、長瀬、錦戸、田口などなど、まずまずの演技を見せる人材も居るには居るが・・・。しかし、明らかに演じるにふさわしくない人材の不必要な露出は、ドラマ・映画界における「若手男優育成」の機会を確実に奪い、若手俳優における女高男低が目立つ結果を生み出した元凶である。深刻な影響を与えているといってもいいだろう。 また、オリジナルの脚本を書ける人間の枯渇も深刻だ。まあ、それ以前にそんなこと関係なく酷すぎる脚本が多いのだが・・・。「役者魂」はその最たるものであろう。視聴者を舐めるな!!と言いたい。 また、演出面での稚拙さも各所で目立つ。「鉄板少女アカネ」のCG、「僕の歩く道」のバストアップ映像の多様、「14歳の母」の「性交」があったことを全く表現しない、などなど本当に酷い。もうちょっと根本的にドラマの作り方を見直していただきたいと思う。評価・感想以前の問題だ。 次のクールではさらに良いドラマが出てきてくれることを切に願う。
2006/10/28 01:12|ドラマ・テレビ番組評 |トラックバック:1 |コメント:0 |▲
●土屋アンナ 「strip me?」(DVD付) 67点 ジャンル:ハードロック パンク (2006/8/2) 1. zero 2. rose 3. NO WAY 4. Lovin' you 5. Under My Mask 6. True Colors 7. Give me kiss & kiss 8. Forever 9. Interlude 10. Change your life 11. ecstasy 12. Jane 13. Grooving beating 14. knock down 15. SLAP THAT NAUGHTY BODY <問題点・注意点> 1・曲数が多すぎ 2・前半と後半で作風がかなり違う~作風が迷走しすぎ 3・歌唱の迫力にイマイチ欠け、しかも単調
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モデル・女優として活躍しつつ、昨年夏ぐらいからアーティスト活動も始めた土屋アンナ。モデルとしての人気と「NANA」の大崎ナナの歌唱キャストもあり、一躍女性トップアーティストの一人と相成ったが・・・。
今作はそんな彼女の、昨年発表した1stミニアルバムに次ぐ1stフルアルバムである。
流石エイベックス系列のレーベルで洋楽的音楽やハードロックに力を入れているカッティングエッジからの作品で、さらには人気者の土屋アンナの作品ということもあり、そのつくりに関しては、なるほど良く出来ているなと素直に思う。豪快で巧みな演奏から生み出される重厚なサウンド、豪華なストリングスの挿入、良質な音質・・・。さらには、収録曲のうち6曲が大手企業のCMタイアップ付き・・・。如何に彼女が優れたサポートを受けているかを端的且つ見事に示している。他のアーティストにとっては何ともうらやましい限りであろう。これら点だけでも数多くの他者との決定的なアドバンテージがある。
このような恵まれたサポートに立脚したハードロックを主軸とした楽曲らは、日本的なポップス・ロックの要素と洋楽的楽曲とのいい形での融合を見せているように思う。決してくどくはならず、適度なキャッチーさや鋭さを秘めている。洗練された商業音楽だと言えるだろう。収録された個々の楽曲に関しこれといって不満はなく、完成度は高い。しかし、67点という点数を見ればお分かりかと思うが、ここまでの言説に反し、今作に対する評価はあまり高くはない。何故か?
個々の楽曲の質は確かに中々に高い。しかし、はっきりって楽曲のまとまりが全くと言っていいほどにない。前半の曲を聴く限りハードロック主体の作品と思いきや、7・8曲目を契機に終盤は打って変わって総合ポップス、いやひょっとしたらR&Bっぽい趣すら見せる楽曲が出てくる始末。8曲目は完全にコテコテの洋バラードだし・・・。ミニアルバムや「NANA」の大崎役で培ったロッカー・ハードロッカーとしてのパブリックイメージを根底から覆している。本人や制作サイドにとっては「意外性を狙った」のかもしれないが、結果は全くの逆効果。両タイプの曲の居座りがあまりに悪く、さらにはそういった曲がまとまっていることもあり、「いったい土屋アンナは何をやりたいのだろうか? 何が持ち味なのだろうか」との疑問を持たずにはいられない。全体的に聴かせる魅力に大いに欠けている。せめて、ハードロックっぽい曲とそうでない曲とをわけ、それぞれをミニアルバムとして出すだけでも、評価・感想は大きく変わるように思う。
そして、こういった問題に輪をかけているのが土屋自身の歌唱であろう。得てしてモデル業やタレント業と兼業しているアーティストにありがちな下手さ・弱さはないが、一方でこれといっての魅力もない。そこそこの技術を持った歌い手が小手先で歌っている、というのが率直な感想だ。つまりは、歌唱に感情・気迫を感じずどの曲においても平坦な印象しかないのである。楽曲や演奏は上々であるが、わざわざ土屋が歌うことの意味を最後まで見出せなかった。これが仮にボーカルが木村カエラでも上原奈美でも、作品に対する印象・評価はそれほど変わらないのではないだろうか。今作はそれなりの作品ではあるが、別に土屋がボーカルだったからそうなったわけではなく、演奏や編曲をはじめバックのサポートや組織力が凄かったからに過ぎない。
ハードロックという音楽は不思議なもので、何もかもをソツなくこなせる平均的なタイプが魅力的でありえることが殆どない。逆につまらなくなる元凶であるとすら言える。それよりは技術的に稚拙であっても何か一つだけ秀でたものがあるとか、生まれもっての風格や適性があるだとか、音楽をやることに対する強い思いがあるとか、そういったものがある者の方がハードロックにおいては強い。実力もさることながらセンスや感情がものをいうのである。で、前作と今作を聴いた限りでは、土屋にこういったものはないと言い切れる。
それにしても、この土屋や、その彼女と同じようなタイプである木村カエラがこの手のジャンルの中心的存在となっていることに歯がゆくてしょうがない。J-R&Bやプログレ、ピアノバラードに関しては優れたアーティストらによる高レベルのしのぎが削られているが、ことハードロックに関しては、この2者にハイカラ、高橋瞳とレベルが低い。アメリカでは、クリスタル・マイヤース、ミキーラ、Flyleaf、Cheyenne Kimball、デイジー・シェインらハード系の音楽で非常に優れたアーティストが出てきているのに・・・。
いや、日本にも星田紫帆、FEEL SO BAD、大鴉、HEAD PHONES PRESIDENT、Miz、OLIVIA、アフェイジア、GOGO7188、と「本物」の実力を持ったアーティストが数多く居る。インディーズにおいても、ラウドやミクスチャー系が非常に盛んである。今のシーンがこういったアーティストの躍進を妨げているに過ぎない。
相川七瀬の失墜以降の、日本の音楽シーンの極めて深刻な問題であろう。既に地位のあるものの兼業によるぬるくてお気楽な楽曲ではなく、天性のセンスや実力を持つ優れたアーティストらの凄みに満ち満ちた楽曲でひしめくハードロック・ヘヴィーミュージックシーンが一時でも早く訪れることを願ってならない。
・アーティスト評価 歌唱力 6 () 作曲 -- () 編曲 8 () 独創性 7 () 安定性 7 () 格 6 () 総合 6 () 熱中度 5 ()
2006/10/27 01:12|アルバムレビュー |トラックバック:0 |コメント:2 |▲
<序論> サイトからブログに舞台を移して便利になった点、良くなった点いろいろあるが、確実に弱くなったことに「問題提起」「批判性」があると、自分で振り返ってみて思うところがある。 さて、こういった要素を含んだ記事を書く場合、その書く対象に関し、社会・文化などに対する影響力が大きい、いわゆるメジャーな存在にした方がいいのは確実だろう。例えば凡人には全く理解できない音楽をやる変態アーティストを取り上げてもあまり意味がない。 で、この観点に立った場合、エイベックスやチャートをにぎわせているアーティストにそれほど興味がない私、及び当ブログにとって最もメジャーであり、記事にした際に最も反響が大きいアーティストはというと、それはやはり倉木麻衣しかいないだろう。アルバムレビューにおいても、半期更新となっている「Being/GIZAアーティストの通信簿」においても、彼女に言及した部分に関し自分の予想よりもかなり多い書きこみがあり驚いた記憶がある。 まあ、そうなるのは、自分のサイトやブログや某所においてここ2年以上彼女に対しかなり辛らつな批判を展開しているからだろうが・・・。 何故このような見解になったのかについては、もうかなりの理由があるのだが・・・。今回はその理由の一つになっている可能性が高く、さらにエンターテイメントを司るアーティストのあり方として「ちょっとどうなのよ?」と思うことに関して書いていく。それが何かは、この記事の見出しを見ていただければ恐らくお分かりかと思う。時期的に旬の題材だろう。 というわけで以下、自分の思うところを書いていく。人それぞれ意見があるのを承知で、余計なお世話なのを承知で、あえて批判的見地から厳しい意見を書いていく。以下の文面を読まれる前にこのことに関しご理解いただけたらと思う。
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今ではシーンに対する彼女の影響力がかなり低下していることは、多くのファンも認識していることであろう。その傾向及びファンからの評価に変化の兆しが生じ始めたのは、2005年1月の「Love,needing」発表以降であり、それが決定的となったのは、2005年8月に出た5thアルバムであるように思う。当ブログと相互リンクしている彼女のファンの人や、それ以外のファンの人で今作を契機にファン活動を中止ないしは、以前よりは積極的でなくなったり、さらには批判的な意見を持ち始めたりという人を何人も見かけるようになった。少なくとも4thアルバムが出た2003年までは、彼女の音楽性に関する「ファンからの批判」は殆どなかったように思う。 何故こういった流れになってしまったのだろうか・・・。 時の流れ、音楽性の変化、ファンの嗜好の変化・・・、などなどその理由は様々あろう。しかし、その最たるものは「楽曲レベルの低下」~特に編曲のチープさに象徴される「楽曲の練りこみの甘さ」だと考える。そして、それに影響を及ぼしているのが、既にお分かりかと思うが、倉木の「ライブツアーの日程」 ではないだろうか・・・。 究極的なことを言えば、ライブの日程というものは結局は様々な事情を汲んだ上でアーティストサイドが決めるものであり、それに対する賛否がファンの間にあろうとも、最終的には「それぞれの勝手」という理屈で完結してしまうものであろう。 しかし、このことの正しさを全面的に認めつつも、あえてここ数年の「倉木のライブ日程」のあり方について釈然としないものを感じずにはいられない・・・。そう、何故「ツアーの最終日が誕生日なのか」 と・・・。特にファンの間でも物議をかもした5th・6thアルバムを引っさげてのツアーは共に最終日が10月28日と彼女の誕生日になっている。う~む、まずこのことにどうにも納得がいかない。 そもそも誕生日というのは極めて私的なイベントである。それを「公的」であり、さらには「最終日」ということだけでも「特別」であるはずのライブツアーの最終日に、ある意味「目玉」的なものとして持ってくるのは如何なものだろうか? もちろん、長きに渡るライブツアーをやっていれば、そのうちの1日が自分の誕生日にあたることは可能性として十分ありえるだろう。その際、ファンやスタッフからライブの時間の一部を割いてそのことを祝ってもらうのも当然ありえることだ。このこと自体を取り上げる気はない。問題は、ここ2回のライブツアー(FAIRY TALE ツアーの時はツアー開始日が10月28日)において明らかに意図的に「誕生日をライブツアー最終日」としていることにある 。「誕生日イベントありますよ」「誕生日を祝ってほしいな~」と自らあからさまに明言しているとしか言いようがない。彼女はまだ10回も長期のライブツアーを行ってはいないが、そのうちの3つが「誕生日」と絡めていることに、ファンの方には悪いが彼女の「あざとさ」や「いやらしさ」を感じてしまう。大学を卒業し「専業アーティスト」になることで、さして「時間的な制約」を受けなくなり、幅広い範囲でスケジュールを決められるようになったので、尚更である。 (「テレビ出演のために音楽活動はしない」と言いながらも、コメントなどで結構テレビ出演していることにも少々疑問があるが)。 ここまで自分の誕生日を意識してツアーをやるアーティストは彼女以外にはいないのでは? 今年比較的大きな規模でライブツアーやった宇多田、melody.、sowelu、Fayray、今ツアーの真っ最中である絢香は、ツアー日程と誕生日が重なっていない。当たり前だ。イベントなどを売りにするアイドル歌手や売り出し中の若手女優・グラドルならいざ知らず、ファンを音楽とパフォーマンスで楽しませるアーティスト活動において誕生日をライブの演出の一つして盛り込む必要がない・関係がないからだ。どちらかというと、「デビュー●周年」とか「通算●枚目」といったものの方が、活動を考える上で重要であろう。倉木が未だに「アイドル歌手」と揶揄される理由がこういうところにもあるのかな、と最近では思うようになっている。 さて、インネン&勝手な憶測にさらに輪をかけるが、ここまでくるとある一つの仮定を立てざるを得ない。そもそも「ツアー最終日=誕生日という日程にあわせる形でアルバム制作を行っている」 のかと・・・。そしてそのことが、「アルバムの完成度を下げている」 のではないかと・・・。この点に、私が今回このネタでブログ記事を書こうと思い立った理由がある。 ここで参考までに過去のアルバム発売日とライブツアーの日程を調べてみた(横線は学生・社会人の境界を示す)●アルバム発売日 (括弧の後の数値はおおよそのアルバムのリリース間隔)・1st 「delicious way」(2000年6月28日) ・2nd 「Perfect Crime」(2001年7月4日) 約1年 ・3rd 「FAIRY TALE」(2002年10月23日) 約1年3ヶ月 ・4th 「If I Believe」(2003年7月9日) 約8ヶ月 ・5th 「FUSE OF LOVE」(2005年8月24日) 約1年7ヶ月 ・6th 「DIAMOND WAVE」(2006年8月2日発売)約11ヶ月 ●ライブツアーの日程 ・「Mai Kuraki Loving You・・・ Tour2002」(2002年1月12日~2月27日) 全国10ヶ所14公演 ・「You&Mai First Meeting2002」(6月2日~8月28日) 全国7ヶ所 ・「GIZA studio HOTROD BEACH PARTY」(2002年7月26日~9月10日) 全国5ヶ所 ・「Mai kuraki FAIRY TALE TOUR 02-03」(2002年10月28日~2003年6月13日) 全国29ヶ所39公演、総動員数:10万人 ・「Mai Kuraki 2004 Live Tour Wish You The Best~Grow, Step by Step~」(2004年4月16日~7月25日) 全国29ヶ所38公演 前回のライブ数を半分の期間で行った。 「Mai-K a tumarrow 2005」(7月9日~8月21日) 全国6ヶ所、ファンクラブイベントとしての2度目のアコースティックライブツアー。 ・「Mai Kuraki Live Tour 2005 LIKE A FUSE OF LOVE」(9月3日~10月28日) ・「Mai Kuraki LIVE TOUR 2006 DIAMOND WAVE」(8月11~10月28日) 35ヶ所36公演 学生時代においては、長期休暇の時期中心にライブツアーを行い、そうでないときに小規模のライブ・イベントを行い、その合間にアルバム・シングル制作を行うという非常にタイトなスケジュールであった。しかし、社会人となり専業アーティストになった2005年4月以降、そういった制約はない。極端に言えば、いつにアルバムを出そうとも(もちろん競合者の発売日程や販促戦略といったものの影響は受けるが)自由というわけである。例えば、倉木と同じGIZA所属で彼女と同じくらいの活動経歴の持ち主である愛内は、・DELIGHT CDアルバム 2006/5/31 ・PLAYGIRL CDアルバム 2004/12/15 ・A.I.R CDアルバム 2003/10/15 ・POWER OF WORDS CDアルバム 2002/5/15 ・Be Happy CDアルバム 2001/1/24 ガーネットクロウは、・THE TWILIGHT VALLEY CDアルバム 2006/10/4 ・I'm waiting 4 you CDアルバム 2004/12/8 ・Crystallize~君という光~ CDアルバム 2003/11/12 ・SPARKLE~筋書き通りのスカイブルー~ CDアルバム 2002/4/24 ・first soundscope~水のない晴れた海へ~ CDアルバム 2001/1/31 ・first kaleidscope~君の家に着くまでずっと走ってゆく~ CDアルバム 2000/12/18 と、発売間隔や月に関して法則めいたものは見受けられない。しかも、ここ何枚かにおいては、その期間が1年を切っていることはない。 もちろん、発売間隔が長ければ作品の出来が良く、短いからといってそうでなくなるわけではない。但し、この両者と倉木との間には、ライブツアーの数とその日程による制約~特に誕生日をツアー最終日~がないという決定的な違いがある。倉木の場合、恐らく10月28日までライブをやって、そこから次のツアーの日程に間に合わせるようにアルバムを制作していると思われる。 その際、「4thから5thアルバムに関してはかなりが期間空いてる」=(2004年のライブツアー終了日から5thアルバム発売) と考えがちであるが、2004年の7月終わりぐらいまでがライブツアー、秋には立命館ライブ、大晦日には紅白出演、そして2005年の3月までは大学生であり、2005年の1月から6月にかけてシングル3枚を連続リリースしたことを考えると、決してゆとりのあるスケジュールとは言えないだろう。 6thアルバムに関しても、2005年のツアー終了後から発売まで実質8ヶ月程度しかなかったことを考えると、アルバム制作に余裕があったとは考えにくい・・・。しかも、このときのツアーはその前のそれよりも期間が長く公演数も多い・・・。 つまりは、誕生日をライブツアー最終日にすることが、彼女のアルバム製作から日程的なゆとりを奪い去っているということだ。完全に個人的推測の域を出ないが、ここ2枚のアルバムに対する評価が芳しくない大きな理由となっている編曲や歌詞の問題は、実はこのことに端を発しているのではないだろうか・・・。 売り出し中の新人ならともかく、既にデビューしてから7年ぐらい経ち、それなりの地位を築き、専業アーティストになった倉木がここまでタイトなスケジュールでアルバムをリリースする理由があるのだろうか・・・。大方の中堅・ベテランアーティストがそうであるように、もう少し自分のペースでじっくりとアルバム制作を行うことは出来ないのだろうか・・・。 ライブなんてものは所詮「優れたアルバム」「優れた楽曲」があってこそ意味があるものである。つまらない曲を熱唱されても面白くもないし、感動もない。ライブの日程=「自分の誕生日が最終日」を意識して楽曲制作に負担を与えているのであれば、本末転倒もいいところだろう。そこのところ倉木やGIZAにはもう少し考えて欲しいと思う。 12月には、ちょ~久方ぶりに表題曲が大野作曲のバラード曲、カップリングがYOKOの作曲という、倉木の絶頂を構築した面々が揃いぶみに期待した。だが、既に今年の作品・アーティストに満足しきっている私の、このような冷めた気持ちを揺り動かすような出来であってほしいが、あまり期待はしていない。
2006/10/25 01:30|エンタメ問答 |トラックバック:0 |コメント:22 |▲
某姫に感化されて「Last.fm」を始めました。 PCのアプリケーションで聴いた音楽のプレイリストを出してくれるというものであります。既に某所においてプレイリストを公開してはいるのですが、ブログ上でもそれを公開したいと思いまして導入することにしました。右サイドバー下「聴いた曲の履歴!!」のところの「アーティスト名・曲名」が書いてあるところか、その下の「プレイリスト詳細」のところをクリックしていただくと見ることが出来ます。ま、そう大したものではないですが、管理人の音楽の嗜好や「次にレビューする作品のヒント」らしきものが少しはお分かりいただけるかと思います。 自分で見ていても面白いですね。手続きやダウンロード作業は結構簡単なので興味のおありの方、こちら にどうぞ。 私が聴いている曲に関しての感想や問い合わせなどありましたら、遠慮なくお願いします。
2006/10/24 23:05|その他 |トラックバック:0 |コメント:3 |▲
1・堀北真希 フォトエッセイ「コトノハ、きらり。」 2・クイックジャパン 67 3・人気女子アナ公式ファイル すっかりサボり気味の読書評。今回は、女優・女子アナ関連の書籍に絞り感想を書いていきます。決してこういった本ばかりを読んでいるわけではないので、そこのところお間違えなく(爆
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1は、「ケータイ刑事」「TRICK」「アルゼンチンババア」などの映画出演、「クロサギ」「鉄板少女アカネ」などのTVドラマ出演、ロッテやサントリーのCM出演などなどで大活躍の、業界屈指の「美少女女優」であるホリキッター様こと堀北真希初のフォトエッセイ集。雑誌「CM NOWで約2年間連載した同名のコラムを書籍化したものである。 正直に言って彼女の「写真」目当てで購入したので、そのコラムに関してはあまり期待していなかったのだが・・・。なかなか、どうしてこれが結構面白い。極めて平易な言葉で日々のことや仕事のこと、仕事を通して出会った人や芸術作品のことなどに関し、瑞々しく表現している彼女の文章にとても好感が持てる。文章の上手さもさることながら、彼女の感性の豊かさがそう感じさせるのであろう。言葉の選び方一つ、感情表現の仕方一つを見ても、彼女が優れた表現者であることがよく分かる。だからこそ、「圧倒的な美貌」に依存することなく3枚目役やコミカルな役など幅広い役柄をこなせるのだろう。この書籍を見ていて、彼女が「出るべくして出た逸材」であることが良く分かる。人類の創造主は何て不公平なんだろうか・・・。 写真に関しても極めて素晴らしい。子供っぽいかわいさを見せる表情、ちょっとクールで大人びた表情、憂いを携えた表情、そして彼女必殺の「何もかも見透かされてしまうかのような鋭く鑑賞者を刺す表情」・・・などなど彼女の魅力が余すことなく納められている。個人的感想では、今までの彼女の写真集で一番の出来ではないだろうか。 また、写真とコラムだけでなく、今作発表までに彼女が出演したCM情報やそのエピソード、よしもとばななとの対談、オリジナルトレカも収録されているなど盛りだくさんの内容。堀北ファンでこれに不満を感じる人は殆どいないのではないだろうか。値段も税込みで1680円と大変お買い得。ファンならマストバイ!! 2はサブカル系論壇誌クイックジャパンの67号。この雑誌ってエヴァンゲリオンが放映していたときにかなりディープな特集を組んでいたことが記憶に残っているが、まさか今でも刊行が続いているとは・・・。 ま、それはともかく普段はあまり読むことのない雑誌であるが、今回長澤まさみの特集をやっていたので手に取った次第。長澤の19年に渡る人生の振り返り、デビュー映画となる「クロスファイア」からこの当時での最新作となる「ラフ」までの撮影エピソードなどなど非常にディープで面白い12000字もの膨大なインタビュー記事である。恐らく体系的に長澤まさみを振り返りまとめた現時点で唯一の記事ではないだろうか。通常のグラビア中心のインタビュー記事とは全く違い、「希代の女優長澤まさみ」の魅力を余すことなく分析している。「映画女優」としての長澤まさみのファンの人や、今の邦画やその評論に興味のある人に是非とも読んでいただきたい内容だ。 長澤とそれ以外の彼女の年齢に近い女優との決定的な違いは、この記事でも書かれているが、「幅広い役をこなせる柔軟性がありながらも、どんな役をやっても長澤まさみその人でしかない」 ということだ。役に溶け込むのではなく、天から与えられた圧倒的なビジュアルと抜群且つ健康的なスタイルの良さ、そして演技力をしてある意味「役に馴染む」「役をこなす」のではなく「役を支配する」とでも言うべき強烈なマンパワー立脚した圧倒的な存在感・輝きをスクリーンを通して放出する。役に完全に溶け込み作品(役)ごとに全くの別人となり作品を通して「役」を魅力的に見せ付ける宮あおいや蒼井優とも、完璧なルックスと3枚目の役をもこなせる器用さとを持ち合わせた堀北真希とも、才能だけで演じている感のある沢尻エリカとも違う。それは、映画評論の重鎮、小林信彦氏が指摘しているように、往年の吉永小百合にも通ずる「キネマスタア」としての孤高の魅力なのだと私は思う。長澤出演の映画において彼女を見ていて思うのは、とにもかくにも彼女そのものがスクリーンで輝いていることである。 この記事を書いた磯部涼氏は記事の後半(P32)において、『日本映画の何度目かの黄金期を振り返ったときに、「宮あおいと長澤まさみの時代だった」と評されるのではないだろうか』 と書いているが、この考えに全く同感だ。現時点で業界唯一のキネマスタアであり陽の魅力を発す長澤まさみ(恐らくその後に続くのは藤井美菜や成海璃子であろう)と、職人的な「映画役者」とも言うべき卓越した技量を有し陰の魅力を発す宮あおい(こちらに続くのは多部未華子や福田麻由子かな)・・・。今後の邦画を引っ張っていくのは間違いなくこの2人であると確信している。 と、話がかなりそれてしまったが、この長澤の特集以外にも「小林よしのりと森達也」の対談や六カ所村のルポなど中々面白い記事があった。まあ、長澤まさみの記事に比べたら全く大したものではないが・・・。 3は、書名こそ「人気女子アナ公式ファイル」となっているが、高樹千佳子(「めざましテレビ」「すぽると」「ポッカのCM」など)、皆藤愛子(「めざましテレビ」「トリビアの泉」など)、小林麻央(「NEWS ZERO」「東京フレンズ」「タイヨウのうた」など)、中田有紀(「Oha!4」「考える人」など)、杉崎美香(「めざにゅー」「ネプリーグ」など)を、甲斐まり恵(「やじうまプラス」など)、大石恵(「ニュースステーション」「NEWS ZERO」など)らが所属する、オスカーやホリプロ、研音やスターダストといった超大手事務所所属の女優・アイドル・グラドルすら凌ぐ「日本最高の美女集団」セントフォースの公式ファイルと言った方がいいだろう。既にここに所属しているアナウンサーの実力・魅力・影響力は各局のエース級のアナと比べても遜色ない。上記面々の担っている役割や人気を考えると、もはやここのアナなくして(NHKとテレビ東京以外の)報道・バラエティー番組が成立しないと言っても過言ではない。 この書籍では、上記この事務所のエース級アナウンサーのグラビア写真・インタビュー記事をはじめ、アンケートによる自己分析や「バッグの中身拝見」、さらには、所属アナ同士の対談や「アナウンサーになるための就活方法」の解説などなど、1800円という価格が全く苦にならないほどの盛りだくさんの内容。何故この事務所所属のアナが強いのかを最高の満足感と共に簡潔明瞭に教えてくれる。 但し、一つだけ不満が・・・。ここの事務所の中で一番のナイスバディーの持ち主であろう柳沼淳子と、小林麻央の後釜として「めざまし土曜日」のお天気キャスターとなった山縣苑子が載っていないのが・・・。謎だ!! 上記アナウンサーのファンの方、女子アナファンの方、美女好きの方はチェックされることをお勧めする。 尚、近々8月7日で少し書いただけで止まっていたセントフォースに関する論稿を再開します。
2006/10/23 22:55|読書評 |トラックバック:0 |コメント:0 |▲
ちょっと間が空きましたが、続きをやっていきますよ~。
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・14歳の母 ×「14歳にして妊娠した少女の姿を通じ、命の重さや愛とは何かを問い掛けるヒューマンドラマ」 と、ここ数年「女王の教室」「マイボスマイヒーロー」などなど奇抜で挑戦的な作品を送り出している日本テレビの方針を見事に反映している作品。 ま、その挑戦心は買うが肝心の中身はちっともともなっちゃいない・・・。 もはや現実においては、中学生でもセックス・妊娠ということは珍しくもないのだろう。だが、エンタテイメントであるテレビドラマおいて、14歳という年齢で「妊娠」させ、話を進めるにはそれなりの理由付けが必要となる。でないと、あまりにすさみすぎていて娯楽作品として見るに堪えないからだ。考えるに、それなりに妥当な理由は「レイプ」か「盲目的にお互いが愛し合っている」しかないだろう。 だが、今作においては、セックスに至る過程~何故2人がそういう関係になったのか~の描写が極めて雑。交際期間もそれほど長くなく、単なる異性の友達という感しか否めなかった矢先の唐突な「一夜」・・・。しかも、肝心な性描写が完全に欠落している・・・。確かに演じている役者の年齢を考えると、そういう描写がご法度なのは分かる。だが、こういうドラマをやる以上、そういう描写を全く「無視」して話をすすめていくのは、ドラマを放送するに当たっての覚悟・認識が足らないと言われても仕方がないように思う。この時点で完全にドラマに対する評価が下がり鑑賞意欲が冷めてしまった。せめてシルエットでもいいので「抱擁シーン」や「キスシーン」、ないしは「裸で対峙させるシーン」ぐらいは盛り込むべきではなかったか。と言っても、どのみちそれに至る過程の説明不十分さの解消にはならないが・・・。 それと、主役の女の子の相手となる男の、あまりに覇気のなさすぎる表情と演技も気になる。志田未来も妊娠する中学生役をやるには幼すぎて説得力に欠けるし。彼女と対立する役を演じている谷村美月とか、大人びた風貌をしている成海璃子の方がその役に適していると思うのは私だけだろうか・・・。 しっかし、話のオチをどうするつもりなのだろうかね。「中絶」してしまったらその時点で話が終わってしまうので、話としては「産む」方向で行くのだろう。だが、その時点でもう今作の説得力は根底からなくなるように思う。 どうも「女王の教室」といい今作といい、センセーショナルなタイトルや主題で話題づくりをするものの、肝心な中身が伴っていないと思わざるを得ない。テレビ局としてその姿勢は如何なものだろうか。 ・Dr.コトー診療所2006 ○ もはや「第二の北の国から」とも言うべき定番ドラマとなりそうな今作。まあ原作がそれなりに面白いし、役者もしっかりしているので、よほどとち狂ったことでもやらかさない限りドラマが駄の方向に行くことはないだろう。安心して見ていられる。今シリーズから新しく加わった蒼井優も、持ち前の柔軟性抜群の演技力で「実務経験が限りなく0に近い新人ナース役」を見事に演じられており、早作品に溶け込んでいる。フラガールの時とは全く印象が違う。ほんと、いい女優だ。・家族 妻の不在夫の不在 △~○ 竹野内豊が初の子持ち役となるドラマ。父親のみによる子育てを通して家族のありがたさを訴えるドラマなのだろうが・・・。今の所評価するだけ話が進んでいないので、実質保留といったところ。 ただ、主役夫婦が離婚までに至る描写が弱い・・・。夫の仕事が不規則で大変なのは、1年前に彼がヘッドハンティングされた段階で分かっていることだろうに・・・。見ている限りでは夫の方にさして落ち度はないように思う。演奏会には行かなかったものの子どもとのコミュニケーションはそれなりにとっていたし・・・。こんな理由で離婚していたら世の中の夫婦殆どが離婚しなきゃならん・・・。もう少し竹野内演じる役の設定を「家庭を全く顧みないひどい亭主・父親」にすべきだった。・アンナさんのおまめ ×× 恐らくベッキーちゃん初の主演となるドラマ。「白鳥麗子でございます」で御なじみ鈴木由美子原作作品。 はっきり言って馬鹿すぎ。まあここまで馬鹿すぎると逆に痛快でもあるのだが・・・。 ベッキー演じるリリのウザキャラぶりが終始出すぎているのはちょっと・・・。原作ではこれでもいいのだろうが、映像となるとその馬鹿さが増幅されるだけで見るに堪えない。もう表現を少し抑えるべきであろう。 今までは杏さゆりの圧倒的な美貌とスタイルを見たくてこのドラマを見ていたが、それも限界に達しそうだ・・・。 「セーラ服と機関銃」「たったひとつの恋」「スウィーツドリーム」に関してはいずれまた。
2006/10/22 21:21|ドラマ・テレビ番組評 |トラックバック:0 |コメント:0 |▲
・評価: 70点 (原作の「ラスト」に特に思い入れのある人は50~60点くらい。原作未読の人は75点くらい) 書店勤務という立場と年間100冊以上は本を読むこともあり、「いい作品」「面白い作品」と思える作品との出会いはそれなりにある(とは言え、音楽に比べると遥かに少ないし、駄作に出会う比率が高いのだが)。しかし、心に鮮烈な印象や感動を残し続ける、それこそ生涯大事にしたいと思えるほどの素晴らしい作品はと言うと、当たり前であるが殆どないのが実情である。今回評を書く「天使の卵」は紛れもなくその素晴らしい作品の一つに数えられるものである。設定、ストーリー、文章・・・。この作品を「すばる新人賞」に選出した選考作家のコメントにあるようにそのどれもにおいて「凡」である。しかし、凡な作品では決して得ることが出来ない鮮烈な印象と涙が零れ落ちそうなほどの感動がそこに確実に存在する・・・。何故なんだろう。 今作の主題は、「愛する人との別れとその悲しみ」という、ここ数年におけるエンターテイメント界の主流となっている「純愛系・お泣かせ系」の定番とも言うべきものであるが、今のそういった作品と今作とでは、比べるのが馬鹿らしくなってくるぐらいに登場人物の感情表現のリアルさ丁寧さなどに関して差がありすぎるからであろう。凡に徹しながらも、登場人物の確かな生き様や感情が確かに息づいている彼女の文章や作風は、そうであるが故に読み手の心を捉えて離さない・・・。まさに村山文学の真骨頂。 今や直木賞を取り、人気女流作家の一人になっている彼女であるが、今作はその地位をもたらすきっかけとなった作品であり、素晴らしい作品が多い村山作品の中で今尚「最高傑作」の一つとして称されている作品であるのだ。私は今作を読んで彼女の熱心なファンとなった・・・。だからこそ、今作に対する想いには並々ならぬものがある。人気作家の作品の安易な映像化が横行する映画業界・ドラマ業界・・・。そういった流れを受けての今作の映像化に関しては、はっきり言って不安感や不信感、そして怒りしか感じるものがなかった。村山作品ならではの繊細で丁寧な描写が映像で再現できるようなものだとは思えないからだ。だが、一方で主役である春姫を演じることになった小西真奈美に関しては「ハマり役なのでは」との気持ちもあった・・・。 村山作品に対する思い、小西真奈美ファンとしての立場・・・、そういった様々な思いを抱えながら今作を見に行ったのであるが・・・。
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<あらすじ> 美大入学を目指す19歳の浪人生、一本槍歩太(市原隼人)。彼には既に文系の大学に行った器量よしの夏姫(沢尻エリカ)との交際も順調で、後は無事大学の試験に合格するだけだった。 ある時、満員電車の中で偶然であった美しい年上の女性(小西真奈美)に心惹かれてしまい、彼女のことが頭から離れなくなってしまう・・・。彼女にもう一度会いたい・・・。そんな気持ちを抱えながら後の日々を悶々と過ごしていた・・・。だが、精神を病んで精神病院で入院している父を見舞いに行った際、そこで思いもかけず彼女~五堂春妃~との再会を果たす。新しく父の主治医となったのである。彼女目当てで今まで以上に病院へと橋を運ぶようになった歩太・・・。何かにつけて彼女に話しかけるにつれ、より一層彼女への思いを募らせていく。 しかし、8歳もの年の差、そして何より彼女は夏姫の姉でしかも結婚歴のある女性・・・。そうそう簡単には事を運ばせない様々な障害が厳然と存在していた。だが、ある出来事を通じ、お互いが似たような境遇に居、同じ心の傷を抱えていることを知ってから急速に2人の距離は縮まっていき、愛を深めていく・・・。悩み傷つきながらも気がつけば二人はお互いへの思いを抑えることが出来ないまでになっていた・・・。だが、そのことが、2人の運命をとんでもない方向へと導いていく・・・。<感想など> エンドロールこそ、歩太を演じた市原や春妃を演じた小西の名が先に出てくるが、歩太&春妃が主役で夏姫は脇役の原作とは違い、沢尻演じる「夏姫の視点」~しかも物語の世界から4年後のそれ~で物語を振り返る形となっている。原作未読の人にとっては恐らく「主役は夏姫」と思うのではないだろうか・・・。それぐらいに彼女の露出が多い。 しかし、映画版ならではのこの演出が今作の評価・出来に少なからず影響を与えている・・・。 今作に関してはあくまで「歩太と春妃の恋愛」が主軸 との認識があるので、要所要所で夏姫の回想が押し出されたこの演出方法は、作品の流れをぶった切っているように思え、良いとは思えない。それは今作の10年後の世界の物語を描いた「天使の梯子」でやっていることでもあるので・・・。何故あえて「今作から4年後」の世界を劇中に盛り込む必要があるのか・・・。見る限りにおいてそうするう意味をあまり感じられないでいる。今作原作に思いいれのある人程、よりそう思わずにはいられないだろう。 また、夏姫の露出が多いことにより、相対的に歩太と春妃の交流場面が少なくなっていたのも気になるところ。時間的な制約のある映画なので仕方ない面もあるが、やはり2人の関係を考える上で重要となる場面・セリフは一つでも多く出してほしかったように思う。私のように原作を精読している者であればいいのだが、今作を始めている人にとっては、何故両名が惹かれあったのかの理由がイマイチ判然としないことだろう。よって、作中人物への感情移入を妨げてもいる。 そして、このこと以上に「ラスト」の変更にこそ、この演出方法による顕著な弊害が出ているのが物凄く気になった。 そう、原作ファンにとって、何で今作のファンになったのかの一番の理由は、あまりに痛々しい某人物からの非難の言葉を経ての、あの鮮烈にして衝撃的なラストがあるからだろう。個人的にも読み進めるうちに積もり積もった感動があのラストの1ページにおいて一気に爆発し、涙したことを昨日のことのように思い出せる。 だが、ネタバレになりすぎるのであまりここでは書けないのだが、作中において極めて重要であろうはずの何故●●が●●●のか、その●●●ことの持つ意味に関し、映画版では殆ど語られていない。さらに悪いことに、本来は歩太と夏姫の●●の物語が付け加えられる始末・・・。今作においては、歩太は●●してはいないのに・・・。ヤフーの映画評において今作の評価平均が3点を割るなど極めて低い評価となっているのは、総じてこういった点が、特に原作のファンにとって容認できなかったからだろう。もちろん、個人的にも×。 思うにこのような作りになってしまったのには、映画公開日翌日に放送される「天使の梯子」の存在があったからだと考えられる。原作においてすら、本来は続編が出るはずではなかった作品に、無理やり続編を作ったことによる弊害が出ているので(*小説「天使の梯子」を私はあまり高く評価していない)、それが映像化によってさらに増幅されたと言える。何とも居心地が悪い。 さて、役者に関しても述べておこう。 歩太を演じた市原に関しては、当初の予想通りちょっと暑苦しい印象が否めなかった。ルックスは端整でいいのだが、どうにも口調や声質、さらには演技が全体的に暑苦しくて・・・。原作の歩太に関しては「通常はクールだが、春妃の前ではアツい奴」とのイメージがあるので、違和感が少なからずあった。 一方の夏姫と春妃であるが・・・。前者を演じた沢尻は、個人的にはかなりはまっていたと思う。天真爛漫でちょっぴり我侭で、それでいて寂しがりやでもある夏姫のキャラを沢尻はその見事なビジュアルと演技力とで演じ切れていた。今年彼女は数多くの映画やテレビに出演しているが、現時点で今作が一番出来がいいのではないだろうか。ただ、彼女に4年後の世界~女教師を演じさせたのは、少し無理があったが・・・。 春妃を演じた小西に関しても、「他に居ない」と言える位にはまっていたと思う。若者が憧れるに足る「妖艶でいて儚い魅力を有し、さらには心に傷を抱えた女性」をこれ以上ない、というくらいに演じられていたのではないだろうか。モノトーン調の映像、白基調の映像で映し出される彼女の美しさは思わず息を呑んでしまいそうだ・・・。もちろん、演技に関しても全く不満はない。改めて小西真奈美という希代の女優の凄さを思い知らされた次第。 それにしても、まさかあんなシーンがあるとは・・・。市原よ、うらやましすぎるぞ!! まあ、役者に関しては概ね良かったと思う。しかし、既に述べてきたように演出や脚本面での問題が、そういった良さを削いでしまっていたように思う。 以上の点から考えるに、説明不足の点が多々あれど、原作を読み込んでいない人の方が楽しんで見ることが出来るのではないだろうか。原作ファンの方は見に行く際にある程度の覚悟が必要かと思う。
2006/10/21 18:53|映画評 |トラックバック:1 |コメント:2 |▲
●岸本早未 「LOVE DROPS」 68点 ジャンル:J-pop ダンス (2006/9/20) 1. JUMP!NG↑GO☆LET’S GO⇒ 2. tell me,tell me 3. WAKE UP MY SOUL 4. I miss you 5. CAN’T STOP THE MUSIC 6. 笑う君と 7. Venus18 8. PEACH:LIME//SHAKE <注意点・問題点> 1・今までのように彼女のはじける魅力を感じ取れる曲が殆どない 2・「Dessert Days」「みえないストーリー」のようにダークで哀愁のあるシャープな曲がない 3・前作発表からだいぶ間が空き、その間における彼女の成長(体)もあり、作品の方向性にずれ、迷いを感じる 4・その方向性のずれ~作風の変化に歌唱がややついていけていない
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2ndアルバムから約2年ぶりというかなり間隔が空いてリリースされた3rdミニアルバム。長期間リリースされなかったこともあり、「活動の継続」そのものに対する疑問が否めなかったことを考えると、リリースされたことだけでも喜ぶべきだろうが・・・。
但し、長い間待たされたに足る出来であるかと言うと・・・。厳しい見解にならざるを得ない。そうなってしまった大きな理由は前作から今作発表までの間隔が長く、さらにその間において彼女が当然「年をとった」ことにある。しかも、少女から大人へと容姿が大きく変化していく10代後半の時期に・・・。
(ニューアルバムのジャケや最近のパンライブ映像を見るに、すっかり大人びた風貌になっており、嫌でも歳月の流れを意識させられられる。)
こういったことを示すかのように、1年前の現役女子高生の時に作られた1曲目や7曲目を除き、かつてのシングル曲のようなピチピチ(死語)の若さ・かわいさを全面に押し出した弾けるような曲はない。3曲目のようなアダルトな色気を感じさせる曲や4・5・8曲目などなど全体的に穏やかな曲が支配的な作りとなっている。これは「少女」及び「それっぽさ」からの意図的な脱却・決別に他ならないだろう。確かに彼女は既に19歳。いつまでもかつてのような路線を維持出来るはずもないので、このような方向性の変化そのものは決して間違っていないように思う。だが、成果を出せたとは言いがたい。
今作の楽曲で一番気になったのは、大人路線を打ち出そうとするあまり、彼女本来の魅力を減じさせてしまったということだ。かつての「みえないストーリー」「Dessert Days」「愛する君が傍にいれば」のようにシャープでメリハリの効いた展開を見せる哀愁を感じさせる曲が今作には欠如している。これは年を重ねても確実に彼女の魅力足りえる要素であると思っているので、かなり残念な点である。
また、作風が大人しくダンス色も薄まっているせいか収録曲各曲にあまり印象がないのも聴いていて気になった。それどころか、なまじ往年の路線を感じさせ&録音したのが一番古いであろう1曲目が妙に浮いてしまっているという問題、さらには、意図的な作風の変化を見せた3曲目において歌唱が少しついていけていない、という問題を生じさせてしまっている。
結局のところ、かつての魅力もそれに変わるあたらな方向性での魅力も出し切れなかった中途半端な作品のように思えてならない。まあ、今作での実験・経験を糧にさらに精進し、今後の作品へと生かしてくれることに期待したい。それが出来れば後々に今作の持つ意味・評価も大きくなることだろう。
・アーティスト評価 歌唱力 6 () 作曲 -- () 編曲 6 () 独創性 6 () 安定性 6 () 格 6 () 総合 6 () 熱中度 6 ()
2006/10/20 00:53|アルバムレビュー |トラックバック:0 |コメント:0 |▲
「アイスホッケー部」という言葉が入っているにも関わらず、「アイスホッケー」と全く関係のない内容という凄い漫画であった「南国アイスホッケー部」。 そこにおいて「トレイン○○ッ○ー」という凄まじい言葉を見て以降、すっかりこの作品の作者である久米田康治大先生のファンになってしまった私。 その思いは、後の「勝手に改造」を読むことでさらに強くなり、自分にとってこの人程シンパシーを感じる人はいないのではと思えるほどの熱烈なファンになってしまった(「勝手に改造」公式ファンブックはモチ所有)。 特にそこで繰り広げられる「教養&雑学の塊」 とも言うべき「アニメネタ」「オタクネタ」「映画ネタ」「クリスマスやバレンタインデーでの自虐&ひがみネタ」「常識や文化・風習に対する痛烈な皮肉」に、毎度毎度悶絶・感嘆させられるばかり。私の知識の源泉にもなっている。というか、理解できないネタがあったら物凄く悔しくなってしまうので、そのために雑学収集に余念がないと言っても言い過ぎではないだろう。 「さよなら絶望先生」で長年執筆活動していた「週刊少年サンデー」を離れ、「週刊少年マガジン」に舞台を移した当初こそは、その作風やギャグの切れ味に疑問があったが、単行本2巻以降では「改造」時代と変わりない冴えを見せてくれて一安心。今をしても、その魅力は衰えを見せてはいない。 と、前フリが長くなって恐縮だが、今週の「週刊少年マガジン」連載分の内容は、「本好き」「音楽好き」の私にとって悶絶モノの内容であった・・・。
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今回は、「タイトルとその内容」とが伴っていない本や音楽・映画やドラマを皮肉くる内容であるのだが、これが又笑える。 個人的には、「出口のない海」→「出口のないオチ」、「Dr.コトー診療所2006」→「ナースあおい優」 と表現していたのには、思わず食していたものを吐き出しそうなくらいに笑ってしまった。 しかし、実際問題、最近のエンタメ関連のものにおいて、上記「タイトルとその内容」とがあまりに伴っていない、それこそ「詐欺?」と言いたくなる様なものが本当に多すぎると、日々思わずにはいられない。 というわけで、私も久米田先生を「パク・・」、いや「リスペクト」して、タイトルと実体とが伴わない作品に関し、自分なりの「本当のタイトル」とやらを考えてみた。行き当たりばったりで考えたので、抜け落ちているもの、もっと面白いものがあるのかもしれないが、ご容赦下さい。 内容が故に、元ネタについて分かる人にしか今回の内容を理解することが出来ないものとなっておりますが、そこのところもあわせてご容赦下さい。●書籍編 ・横山秀夫「半落ち」→「ガタ落ち」 ・横山秀夫「クライマーズハイ」→「イカレタ記者の暴走・妄想ドキュメント」ないしは「山をなめるな!!」 ・横山秀夫「動機」→「そんな動機じゃ~・・・」 ・大沢在昌「心では重すぎる」→「読み進めるのが辛すぎる」 ・法月綸太郎「生首に聞いてみろ」→「生首に聞いても何が何だか・・・」 ・竹内一郎「人は見た目が9割」→「非言語コミュニケーション入門」 ・山田真哉「さおだけ屋はなぜ潰れないのか」→「そんな説明じゃわかんない」 ・伊坂幸太郎「陽気なギャングが地球を回す」→「ナルシスト達の共演」 ・伊坂幸太郎「重力ピエロ」→「オレだけは何をやっても許される」 ・石持浅海「月の扉」→「オカルト信者の自殺日記」 ・皆川博子「総統の子ら」→「人類皆変態です」 ・藤原雅彦「国家の品格」→「あんたの品格はどうよ?」 ・金原ひとみ「蛇にピアス」→「セックス私小説」 と、キリがないので次は映画。●映画編 ・「劇場版デスノート」→「デスノートコスプレ劇場」 ・「バックダンサーズ」→「バックダンサーズのバックダンサーズ?」 ・「ワイルドスピード×3」→「米韓ブサイクバトル」「無法地帯トーキョー・ニッポン」 ・「初恋」→「あおい様オールドファッションショー」 ・「好きだ」→「あおい様が好きだ」 ・「さゆり」→「大後寿々花」 音楽はもっとキリがないので・・・、辞めときます・・・。
2006/10/19 23:08|バツ丸の戯言 |トラックバック:0 |コメント:0 |▲
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プロフィール欄の画像と名前を元に戻しました。と言っても、状況が好転したわけではないのですが・・・。しかし、それなりに継続して更新出来そうなので今回の措置をとることにしました。 ただ、更新に関しては、以前ほどハイペースにはせず、適度に休みをとりつつのんびりペースでやっていくつもりです。そういうこともあり、シングルレビューに関しては、特に各必要がある作品を除き中止といたします。アルバム評・映画評・読書評の3つを柱としたブログになっていくと思います。申し訳ありません。 今後とも宜しくお願いいたします。
2006/10/19 18:42|その他 |トラックバック:0 |コメント:3 |▲
いや~すっかり秋めいてきましたね。今日半袖で出勤したら寒かったですわ。まあ、心は既に真冬のシベリアぐらいに寒いですけど・・・。 それはともかく、ここ2クールにおいて各局の連続ドラマの視聴率が非常に低迷していることもあり、今クールに関してはそのラインナップや出演俳優名などを見るに、少しは各局力を入れてきたような感がありますが、果たしてどうでしょうか・・・。 毎度のことですけど、管理人の勝手極まりない評価・感想を書いていきます。原則評価は◎○△×の4段階ですが、ドラマの出来によっては××・×××をつけることもあります。 というわけで、日曜のドラマから・・・。
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・「鉄板少女アカネ」 ○ 業界最高最強クラスの美人女優、ホリキッター様こと堀北真希初の主演ドラマ。個人的に今クールのドラマの中で最も期待していた作品であるが・・・。 やはりと言うか、堀北は最高。明るく爽やかな表情や思いつめる表情、もの悲しげな表情すべてが凄まじく魅力的だ。さらには、水溜りに突っ込んだんだり、陣内に茶を吹きかけられたりなどなど、体を張った演技にも好感が持てる。凄まじいビジュアルの持ち主でありながらも、それが決して親しみ安さを損なうことなく、嫌味にもならず、様々な役柄をこなせるのが堀北の魅力であろう。長澤や沢尻ら同世代の美人女優にはな魅力だ。 で、肝心の内容であるが・・・。簡単に言えば、「女の子版ミスター味っ子」みたいな感じ。原作が2巻までしか出ていないコミックということもあり、片瀬や竜が演じる役柄や堀北演じる主役をはじめ、キャラの設定や話にかなりのオリジナル要素があるが、現時点ではこのことに対する評価は出せない。原作では父親を探すために各所を巡りながら、それぞれの場所において「人助け」や「人情話」を主とした料理対決を繰り広げていくわけであるが・・・。テレビ版では果たしてどうなっていくのだろうか。不安がちょっとある。終盤に盛り込まれたCGは余計だと思うが・・・。以前同じTBSでやった矢田亜希子主演の「マイリトルシェフ」のように主役の魅力をとにかく前面に押し出したつくりにした方がいいのかもしれない。 ま、どういうないようであれ、ホリキッター様を見んがためにこのドラマは見続けるけど。ほんと、かわいすぎ。 このドラマを見て無性にお好み焼きが食べたくなった。こういうところは関西人の血が騒ぐな~。・のだめカンタービレ △ 今少女漫画業界で常に話題の中心となっている「音楽マンガ」。いろんなところから「おもしろい」との評価を聞くのだが、個人的には絵が苦手なことをはじめどうにもその良さを理解できないでいる。 本来なら1年くらい前に岡田准一君が千秋役で放送されるはずだったのだが、彼を全面に押し出した脚本に原作者が激怒し、あえなく放送そのものが中止に・・・。代わりに放送された「花より男子」が好評だったのは記憶に新しい。今回、玉木君を千秋に据えなおし、脚本を直すことで再びのドラマ化にこぎつけられたようだが・・・。 う~む、このアホアホでおふざけなノリはこのドラマの魅力なのだろう。どうにもついていけないところもあるが、一方で爽快でもある。のだめを演じる上野樹里も流石といったところ。とても魅力的だ。 まだ、厳密な評価は出来ないが、個人的に結構好きなサエコや上原美佐が出ているのでもう何回か見ようと思う。 音楽に関する薀蓄は面白いな。・役者魂 ××× 現時点で今クールダントツワーストのクソドラマ。唐突に挿入される松の妄想劇やら、やたらと間延びした展開やら、魅力や気迫にかけすぎる役者の面々やらいったい視聴者に何をしたいのか、何を見せたいのかが全く理解できない。自分は「クソ音楽」や「クソドラマ」に対する「耐性」があると勝手に思ってはいるが、その私でも30分ほど見た時点で完全にリタイア。本当に久しぶりだ。今年に入ってから各所で指摘されているドラマのレベル低下や視聴率低下を象徴する「放送することが恥でしかない」ドラマ。 加藤ローサが出ているのが数少ない救いではあるが、かといってこのドラマを見る気はさらさらない。・僕の歩く道 ○ 草なぎ君主演の「僕道シリーズ」の最終作品・・・らしい。てっきり前にやった「僕と彼女と彼女の歩く道」の続編かと思いきや、内容的には全く関係ない「自閉症の青年」が主役のいわゆる「感動作品」 こういう言い方をすると反感や批判が来そうだが、大学在学時に様々なボランティア活動をした経験から言うと、かつての「聖者の行進」や今作の根底にある「障害者=純粋」とか「健常者=汚い・スレている」とも言うべきステレオタイプの描写は「大嫌い」だ。今作の公式サイトにある、 「彼はまっすぐに純粋に生きています。 彼はまっすぐにまっすぐに生きています。 だから、たくさんの人にまっすぐに純粋に愛されるのです。 ただそれだけです。」 の文章に正直辟易している。現実や本質から外れた「美談」や「感動劇」にするために、または話題づくりのために「病気」を安直に利用しているのであれば、それは謹んでしかるべきであろう。自閉症に対する人々の啓発に寄与することを願ってならない。 まあ、それはさておき、現時点では草なぎ君をはじめ各役者の演技もしっかりしているし、自閉症に対する一般認識を結構リアルに描いた演出・脚本もまずまずでそれなりに評価することが出来る。ただ、草なぎ君と香里奈両名の、カメラの方向(画面正面)に向かっての「どアップ映像」(他の出演者は後方で並んでいる)がやたらと多いのがうっとおしくて仕方ない。何だかこの部分だけ「作り物」であることを安易に認めているように思えてならない。コメディードラマならいざ知らず、今作のような真面目なドラマにおいては、この演出はやめた方がいい。すぐにでも改めるべき。 次回以降へ続く・・・。
2006/10/18 00:33|ドラマ・テレビ番組評 |トラックバック:0 |コメント:0 |▲
・評価:50点 続きはまた!! 無駄な金と時間を使っちまいました。
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<あらすじ> かつてはNY市警の有能な刑事であったジャック・モーズリー(ブルース・ウィリス)。しかし、職務遂行中に足を負傷し片足が不自由になってからというものの酒浸りになり、今や生きる意味さえ失っている単なるくたびれた中年刑事に成り果てていた。 しかし、何の因果かそんな彼に突然上司から命令が下される。だが何のことはない。仮釈放中に悪事を働いたちんけなコソドロであるエディー(モス・デフ)をわずか16ブロック先~時間にしてものの10分15分くらいで行ける距離~のところにある裁判所で証言させるために護送してほしいという実に簡単でくだらない仕事であった。 最初は夜勤明けということもあり命令に対し嫌がっていた彼であるが、人手がいない&簡単な仕事という上司の話もあり、しぶしぶ命令に応じることにした。 時間は朝の8時になったばかり。どこも渋滞だらけ。しかも、護送しているエディーがやたらとなれなれしく話しかけてくることもあり彼のイライラはすぐ頂点に達した。気を紛らわすために彼をおいて酒場に向かったジャック。だが、彼らは謎の集団から突如凄まじい攻撃を受けることに・・・。ただならぬ事態であることを感じたジャックは必死に応援を呼ぶのであるが・・・。しかし、実は襲い掛かってきた集団は何とNY市警の面々であったのだ。そう、エディーは単なるちんけな証人ではない。「NY市警の警官達の犯罪行為」を証言する、NY市警にとってあまりにヤバ過ぎる証人であったのだ・・・。 かつての同僚やNY市警の上層部連中から「何もなかった」ことにしてエディーを素直に殺させるよう命令され、まさにそれが実行されようとしているその時、ジャックの中に長年眠っていた何かが甦る。的確な攻撃を追っ手に与えつつエディーを連れて彼は逃げ出した。NY市警を敵に回しての地獄の逃走劇がここに始まりを告げる・・・。 過去の傷に押しつぶされ夢や希望を失っている白人刑事と、「ケーキショップ」を開くという夢を持ち、それに向かってまっとう生きていこうとしている黒人犯罪者エディー。逃亡を通じて少しずつ心を通わせていく両名。いつしかそれは、お互いの人生に大きな影響を与えていくことになる・・・。 果たして裁判が始まる10時までにジャックはエディーを無事送り届けることが出来るのだろうか?<感想など> と、以上自分の書いた文章であるが、読んでいると「これは面白い映画ではないのか?」などと思ってしまう。 確かにNY市警の面々との追いつ追われつのやり取り、知略の駆け引き、銃撃戦などは「ハリウッド映画」ならではの魅力がある。盛大なぶっ壊しシーンもそうであろう。 また、かつてのアクション俳優のイメージを根底からぶっ壊す、心身ともに「くたびれた」中年刑事役を見事に演じ切れていたブルースの演技も非常に良かったと思う。また、往年のジャックが「いかに優れた刑事であったか」を示す様々な描写もお見事であった。 しっか~し!! 「これはちょっとどうなのよ」と思ってしまうところが多々あってしょうがない・・・。 問題は2人を追跡する警察の描写。事情が故に「事を荒立てずに逃亡する2人を確保、そして抹殺」しなければならないはずなのに、あまりにも組織的且つ暴力的に2人を追いすぎ。ところかまわず銃を撃ちまくるわ、善良な市民の家々に好き放題踏み込むわ、もうやりたい放題壊し放題。これではマスコミや世間の皆々様に「我々はとっても怪しいことをしていますよ~」「とんでもないことを隠しているんですよ~」 と大声で叫んでいるようなものだ。 追われる二人にも笑える・・・。強運と相手との駆け引きにより修羅場を凌いでいくわけだが、そうしたや否やまた実にあっさりと刑事達に見つかってしまい再び修羅場。映画とは言えあまりに安直に刑事達に見つかりすぎ・・・、と言うかこんな簡単に見つけてしまう刑事達の方がどうかしている。序盤こそは追撃してきた刑事からかっぱらった「GPS携帯」をジャックが所持していたから、と理由説明できるが、それを彼が捨ててからも「何でこんな簡単に見つかるの?」と思わずにはいられないほどあっさりと見つかる始末。特に屋上に逃げた場面においてジャックがいきなり右手を狙撃されてしまうところは、話の流れや状況的にかなり無理がある。2人の体自体が「高性能の発信機」になっているとしか考えられない(アホアホ)。 まあ、この大味さが「アメリカン刑事アクション映画」らしいっちゃ~らしいのだが・・・。 しかも、ここまで大掛かりでなりふりかまわずNY市警が一丸となって2人を追撃するのだから、さぞとてつもない秘密をエディーが握っているのだろうと思いきや・・・。ネタばれになるのでここでは書かないが、これが・・・ね・・・。何ともしょぼい。これだったら2人を抹殺しなくても、NY刑事の誰かの「個人的責任」として片付けることで十二分に収められそうなものだ。「凶悪な組織犯罪」とか「超大物にまで繋がる汚職事件」ならまだしも、これではあまりに説得力に欠けすぎる。がっかりだよ・・・。 しかし、こういった映画的な問題もさることながら、「個人的」 にこれらと同じくらいかそれ以上に気になったのが、エディーを演じているモス・デフの「声」である。 申し訳ないけど、吉本新喜劇で「あへあへ~」と言っている間寛平のようなぬけぬけで軽軽の声で、白人・黒人のバディ映画の、「黒人側」のお約束である「下ネタ、寒いギャグ」や「自分に関する武勇伝」などなどをシリアスになる終盤を除きただひたすら聞かされ続けたのは物凄い苦痛でしかなかった。途中で帰りたくなってくるぐらいに・・・。 もうこんな調子なので、彼がどんなに感動的なセリフをいっても、重みのあるセリフを言っても説得力が全くない。しかし、彼が悪いわけではない。悪いのは、そんな彼を話の根幹となる重要な役柄に据えた制作側の方だろう。経歴を見るとモス・デフはミュージシャンのようだ。何故、数多くいるであろう黒人役者達ではなく彼を選んだのか本当に不可解だ・・・。 ここで書いた彼のしゃべり声の特性に関し少しでも引っかかるものがある人は、今作を見に行かない方がいいと思う。ま、それを除いてもお勧めは出来ないが・・・。
2006/10/16 23:09|映画評 |トラックバック:0 |コメント:0 |▲
●北空未羽 「rock’n’roll little stars」 63点 ジャンル:UKロック ハードロック (2006/10/11) 1.Rock'n' Roll Little Stars 2.Two 3.Girl Friend 4.Ibara 5.Fruits Basket 6.Fly Away <問題点・注意点> 1・稚拙でこもり気味の歌唱 2・何か川瀬智子のソロプロジェクトを意識しているとしか思えない作風やジャケ写、ファッション3・音楽試聴環境が良くないとさらに減点 4・サビが意外と淡白で印象に残らない 5・最初の2曲以外あまり印象に残らない 6・3曲目まで、印象的なコーラス→Aメロと楽曲パターンが似通っている
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昨年、上木彩矢のデビューのために設立されたBeing/GIZAグループのインディーズレーベル「WEEDS」の、上木・OOM・星田に次ぐ「第4弾アーティスト」として送り出された北空未羽の2ndミニアルバム。今のBeing/GIZAにおいてかなり希少な「完全自作アーティスト」であることから、その活動振りや作品には期待しているのだが・・・。
パンライブや今作のジャケ写での、川瀬智子のソロプロジェクトを髣髴させるファッションに対する違和感からくる不安が的中してしまったかのような、何とも評価し難く且つ中途半端な作品になってしまったと思う。
作品に関しては、前作と変わらずギターサウンドを主軸としたレトロで硬質な雰囲気を感じさせるUKロックが土台となっている。全曲の作詞・作曲と半数の曲の編曲を自らこなし作られた楽曲らは、Being/GIZAのみならず業界においても異彩を放っている。ただ、前作にあった殺伐さや荒涼感が幾分薄まり、コミカルさや女性的なかわいさが出た作風となっているのが、今作の大きな特徴であろう。だが、正直に言って個人的にこの作風の変化に関しては結構戸惑いがある。と言うのも、上記ファッションのみならず、今作における変更点を見るに、音楽性に関してもちょっと川瀬を意識しているのではないかと・・・、そう思えてならないからだ。
しかし、今作を考える上で、
「作風の変化そのもの」 は所詮「好みの領域」で片付けられることであり、それほど深刻な問題ではないように思う・・・。そう、結局はそれ以外の問題が目立ちすぎるのだ。
やはり前作と同様、根本的な問題は歌唱。
以前より良くはなったが、相変わらず発音の不明瞭さ、こもり気味でヌケの悪い声質、声量不足で抑揚に欠ける歌唱といった問題は克服されてはいない。確かにこの北空の歌唱が楽曲に「個性」や「魅力」を与えている点は否定できない事実であるが、なまじバックトラックが鋭利で重厚であるだけに歌唱が埋もれてしまっており、ロック・ハードロックならではの爽快感やノリのよさがない。さらに、平坦な歌唱による均質感に加え、上記あるように川瀬的かわいさやコミカルさを感じさせる曲において彼女の歌唱との不一致感や脆弱さを浮き立たせてしまっているだけ・・・。ハード系の楽曲を歌うボーカリストとしての適性に関しては厳しい見解を持たざるを得ない。このことに関しては、音楽試聴環境がよくないと更なる減点要素となろう。
また、すべての曲は水準レベルを越えてはいるものの、今回は前作とは違う意味(音質ではない点)で問題を感じずにはいられなかった。まずは、前半の3曲に比べると後半の3曲の印象が薄いこと。そして、その良い方の3曲に関しても、
「導入やつなぎのコーラス→Aメロ」 という曲の進行パターンと、
「そのコーラスがえらく魅力的で残りの部分があまり印象に残らない」 という類似点があることがかなり気になった。収録曲が少ない分だけ尚更である。よって、楽曲センスは確かにあるものの、こういった様々な点があり、お世辞でも聴いていて良さや楽しさを感じ取れる作品であるとは言いがたい。作風の迷走感があるだけ前作よりも明らかに完成度では下であると思う。
ファンの方には申し訳ないが、2作目である今作を聴いて1stアルバムのレビューで書いた、
「今後もシンガーソングライターでいるよりは、それなりの作曲力と水準以上の作詞力を生かし、他アーティストへの提供活動に勤めた方がいいのではないだろうか」 との考えがより一層強まっただけであった。ソロアーティストではなく、然るべき実力と魅力とを有したボーカリストへの楽曲提供者やプロデューサーとして活動していただけたらと思う。作編曲者が明らかに不足している&既にハード系の音楽においては、上木・星田・真中と人材が揃っているというBeing/GIZAの実情を考えるとその方がいいだろう。
・アーティスト評価 歌唱力 5 (↑) 作曲 6 (→) 編曲 7 (↑) 独創性 7 (→) 安定性 6 (→) 格 6 (→) 総合 5 (→) 熱中度 5 (→)
2006/10/15 16:40|アルバムレビュー |トラックバック:0 |コメント:0 |▲
●SeanNorth 「Story Neverend」 96点 (名盤入り) ジャンル:アイリッシュポップ フォーク トラッド ケルト ロック プログレ (2006/10/11)1. あてのない世界 2. キャロラン 3. final your song 4. cloudy crowd 5. 夢見るジョニー 6. 線香花火(アルバム・ヴァージョン) 7. Lifetime is Ragtime 8. ライトフライヤーフライ 9. 言葉ひとつ 10. 終わらない唄のクロニクル 11. 千年樹 12. 七つめの海 13. カーテンコール <問題点・注意点> 1・アイリッシュフォークやトラッド、ケルトが嫌いだと聴けない 2・牧歌的な作風は聴き手を選ぶ 3・4、8曲目がちと弱いか・・・<序論> 今年の秋までの音楽シーンに関しては、上半期で圧倒的な作品を見せ付けたFayrayと宇多田、下半期に入った直後で新居昭乃やザバダック直系のファンタジックなプログレを聴かせてくれたASHADAの3アーティストの際立った凄さが目立ちすぎた結果になった。ASHADAの作品が出た時点で、今年の残りにおける自分の興味関心が「この3アーティストに如何に肉薄できる存在が出てくるかどうか」となるぐらいに・・・。 だが下半期において、その可能性があると思えるのは、ガーネットクロウや新居昭乃、菅野よう子、梶浦由記、熊木杏里、FSBらといった当ブログをご覧の皆様が何度も名を目にしているであろう実力派やベテランアーティストぐらいであると、自分の頭の中では既に結論が出ていた。もちろん、そこにASHADA以外の「新人アーティスト」が入ってくるなどとは完全に想定の範囲外であったのだが・・・。 しかし、上位3強+先日アルバムを出したガーネットクロウによる熾烈なつばぜり合いを見続けている私に背後から「膝カックン」を食らわすアーティストが登場した。SeanNorthである。「怨み屋本舗」のエンディングテーマでありデビューシングルでもある「final your song」で話題となり、各FM局においてもパワープレイを獲得した彼ら。とは言え、どちらかと言うと「ちょっと面白そうなアーティストかも」と頭の片隅にとどめておいたに過ぎず、それほど注目してはいなかったのだが・・・。店頭の試聴器で聴いて速攻購入。メジャーアーティストの1stアルバムでここまで出来の良い作品は本当に久しぶりではないだろうか。
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レビューの前にこのグループのことを説明しておこう。
1998年、同じ高校に通うLumi(Vo)、ムーチョ(Gi)、佐々木久夫(Gi兼ほぼ全曲の作詞作曲編曲)の3名により結成されたグループ。ボーカルLumiの歌唱にケルティックな響きがあることと、音楽的にもアイリッシュ音楽からの影響を受けていることもあり、「吟遊詩を無伴奏で歌うスタイルで抑揚を押さえた美しい響きが特徴」のアイルランドの伝統的歌唱方法である「シャーンノス(sean-nos)」がグループ名の由来となっている。メンバーが県立千葉北高校出身ということもあり「nos」の部分を「North」と変更する。楽器店やレコードショップ主催のコンテストの数々で優勝するなど「コンテスト荒らし」とも言うべき活動振りを見せていたが2000年に自らの限界を感じ一旦解散。4年後の2004年に復活。そして2006年、ドラマ「怨み屋本舗」のエンディングテーマとして起用され、FM各局でのパワープレイを得たデビュー曲「final your song」により注目を浴びる・・・。
さてさて、その彼らがシングルの余勢を駆って間髪いれずに出した1stアルバムであるが、上記経歴もあり1stアルバムとは到底思えない高い完成度と確固たる実力とを見せ付けた極めて素晴らしい作品と相成った。
音楽性に関しては、彼らの音楽のルーツでもあるアイリッシュ音楽~ケルトやフォーク、トラッドなどが土台となったプログレッシブポップス、ロックと言うべきか。今の日本のメジャーアーティストでは非常に珍しいと言えるだろう。曲の端々に盛り込まれるヴァイオリン、フィドル、ウクレレ、マンドリン、アイリッシュフルートやナイロンギターといった楽器の生音や打ち込み音が、牧歌的で美しく、時にほのかな哀愁やカントリーロックにも通ずるファニーさや底抜けの明るさを有す「トラディッショナル」(伝統的)な音楽世界を体現している。
聴いていると、どこまでも広がる草原にたたずみどこまでも澄み渡った青い空を見ているかのような爽やかさや、日暮れ時の海岸を見ているかのような切なさを感じてならない。
しかし、このグループの素晴らしいところは、単に「アイリッシュ音楽を高度に取り入れた」のみならず、そこに現代的な解釈を見事に加えられている点にあろう。煌びやかなシンセの音や、ハードロックやメロスピにも通ずるドラマティックでエモーショナルなムーチョのギターが、ともすれば「ただのどかで抑揚に欠ける」「単にいい音楽」で終始しがちなこの手の音楽に、「静と動」「緩急」「硬軟」といった対比表現に立脚したプログレ的ドラマティックさや深遠さ、緊張感、様々な感情表現、さらにはロックやポップスにも通ずる聴きやすさや馴染みやすさをももたらした。伝統的な楽器による懐かしさや哀愁・牧歌的な表現とエレキギターやドラムによるロック的ダイナミズムが高度に融合した2・3・5曲目はこのことを象徴し、さらには彼らの凄さを端的に示す極めて優れた曲である。CDの帯や公式サイトに書かれている
「心はフォーク、音は今」 という「売り文句」に嘘はない。
また、アイリッシュ音楽を柱としたロック・ポップスに止まらず、7曲目のようにRYTHEMのようなファンタジックでファニーな曲や、6・9・11曲目といった「いかにも日本的曲名」が示すような「日本情緒」を感じさせる曲があるのも面白い。特に優雅な和楽器の音色の挿入とダークなシンセの音色の挿入によるドラマティックなサウンドが冴えに冴え渡る11曲目は、「いきものがかり」の「SAKURA」以上の魅力があるとすら思う。こういった音楽性を可能とする彼らの作編曲能力はいったい何なんだろうと思ってしまう。収録各曲の出来は非常に高く、「4・8曲目が若干弱いかな」と思う以外楽曲に関する不満は全くない。恐らく今年のアルバムの中でも「最も穴のないそれ」だと思う。
そして極めつけはボーカルLumiの歌唱。数多くのライブ&コンテスト経験を踏まえていることを差し引いても、彼女のアイリッシュ音楽的神聖で美しい歌唱とロック的力強い歌唱とを高度にこなす技術、凛とした雰囲気や緊張感・強さを感じさせながらもどこかしら脆さ・儚さ、牧歌的な雰囲気や痛快さ、激情さをも感じさせる表現力と声質は圧倒的としか言いようがない。素晴らしい!!
何より、素晴らしい作編曲と演奏、そしてLumiの完璧で魅力的な歌唱、つまりはメンバー3人の極めて優れた才能が結実することにより初めて成立するSeanNorthの音楽は、「音楽を聴くことの楽しみ」を思い起こさせてくれる。聴いていてとにかくわくわくしてくる。このような感動はそうそう味わえるものではないだろう。SeanNorthの作品が大手CD量販店の試聴コーナーで題材的に売り出されていることに心から感謝したい。日本の音楽シーンもまだまだ捨てたものじゃないと思う。
Fayrayや宇多田、ASHADAらとは全く方法論が違うし、これらアーティストのような凄みはないが、彼らもまた極めて質の高いプログレッシブな精神性とそれを可能とする優れた音楽的実力・魅力を有したアーティストである。この先どのような音楽を聴かせてくれるか、本当に楽しみだ。
・アーティスト評価 歌唱力 10 () 作曲 10 () 編曲 10 () 独創性 10 () 安定性 10 () 格 9 () 総合 10 () 熱中度 10 ()
2006/10/12 01:38|アルバムレビュー |トラックバック:0 |コメント:0 |▲
●GARNET CROW 「THE TWILIGHT VALLEY」 95点 (名盤入り) ジャンル:J-pop プログレ (2006/10/4) 1. Anywhere 2. まぼろし~Album arr.~ 3. 今宵エデンの片隅で 4. Rusty Rail 5. 夢・花火 6. かくれんぼ 7. 向日葵の色 8. 晴れ時計 9. マージナルマン 10. 籟・来・也 11. Yellow Moon 12. もうちょっとサガシテみましょう 13. 春待つ花のように 14. WEEKEND <問題点・注意点> 1・「まぼろし」のニューアレンジ 2・壮大でプログレッシブな曲とそうでない曲とのミスマッチ感 3・今までで最も聴きやすく、癖や迫力のない作風をどう捉えるか<序論> どんなに偉大なアーティスト・優れたアーティストであっても、長きに渡る活動をし数多くの作品を出していると、時に「???」と思ったり、お世辞でも「良い」とは思えなかったりする作品が出てきたりもする。ある意味ヒットチャートで上位を取るよりも、「長きに渡る活動をし、優れた作品を安定供給し続ける」ことの方が遥かに難しいように思う。 しかし、デビュー以来常にハイクオリティのアルバムを出し、この道理から逃れ続ける「ガーネットクロウ」という稀有なアーティストがいる・・・。私的評価においても、デビュー以来5作連続95点以上という離れ業をやってのけた現時点で唯一のアーティストだ。 だが、圧倒的なエナジーを放出した4th以降に発表されたシングルは、悪くはないものの「アニメタイアップが故の穏当で面白みに欠ける楽曲」のように思え、来るべき5thアルバムに対する私の不安を大いに醸成させてしまった・・・。個人的に大好きなプログレ的作風で満足感を満たしてくれるアーティストとその作品の存在も、この不安をさらに大きなものにしたと言える。率直に言って、今作を何回か聴いた時点での評価・感想はいいものではなかった・・・。 さりとて、流石はガーネットクロウ。何度も聴きこんで行くうちに今までの彼らの作品~特にここ2作品~とは明らかに違う要素を感じると共に、またもや彼らに対する考えを改めるに至った・・・。う~む、白旗。 というわけで、大変長くなるが今作に対する評価、感想を書いていく。
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今作を聴いていてまず思うのは、プログレメタルっぽい硬質化・壮大化路線を突き進んでいたここ2作の音像との明らかな違いである。確かに一部曲ではそういった名残を感じさせる曲があるものの、全体的には音のつくりがシンプルな方向へと向かっている。シンセが全面的に出ている曲であっても、随所に盛り込まれるオーガニックな鍵盤楽器(シンセ)の音色やアコースティックギターの音色を主軸とした、一見シンプルなように見えて実は複雑且つ緻密なアンサンブルが温かみや柔らかさ、深みを感じさせる。2曲目や4曲目、9曲目などはインディーズや1stアルバム路線への回帰を感じさせもする。
ただ、初期路線との決定的な違いは、長きに渡る活動による経験の積み重ねと修練もあり、音楽性がより多彩になっていることである。プロメタ的前衛さや重厚さを感じさせる1・7・12曲目、他の何者でもないガーネットクロウならではの荒涼さや冷たさを感じさせるマイナー調で民族音楽のエッセンスも感じさせる2曲目、明るさと同時にほんのりとした哀愁をも感じさせる3・8曲目、しんみりとした泣きを放つ4曲目、ラテンっぽい5曲目、スパニッシュ風味溢れる6曲目、インディオの伝統的な民族音楽を感じさせる11曲目、王道バラードである11・12曲目・・・。
どこをどう切っても「ガーネットクロウらしい郷愁や荘厳さ、冷たさや明るさ」などを感じさせながらも、拡散していく音楽性・・・。円熟の境地であろう。その最たるものはやはり、中村の歌唱に尽きる。
上記音楽性の拡大もさることながら、それをしっかりと受け止め・表現することの出来る彼女のボーカリストの成長が今作でもかなり際立った点ではなかろうか。4thアルバムにおいて自分を含めガーネットクロウ識者の間でささやかれた「中村のボーカル限界説」をあざ笑うが如く、4thアルバムを軽く凌ぐ力強さや安定感、声の広がり、高低柔軟をフルに活用した無理のない歌唱を全編に渡り聴かせ続ける・・・。ここ2年間彼女は、いったいどのような修練を積んだのであろうか・・・?
しかし、今作を考える上でもう一つ極めて重要なのは、作品の設計思想の違いにあると考える。
過去のどの作品においても全体的に完成度の高い作品をリリースしてきた彼らではあるが、基本的にそれら作品において、
「全体的に完成度が高い上で、少数の極めて優れた曲が作品を引っ張っている」 という印象があった。インディーズの「A CROWN」、1stの「水のない晴れた海へ」「夏の幻」、2ndの「夢みたあとで」「Holly Ground」、3rdの「Only stay」「Marionette Fantasia」、4thの「夕月夜」「U」のように・・・。
さらには、インディーズアルバムを除く最終曲に盛り込まれる既存曲のリミックス収録という構成がアルバムの質を落としていたようにも思う。さらには、ここ2作のお約束になっていた「シングル曲が比較的固められて収録されたこと」もだ。
だが、今作にはそれらがない。6・7・10・14曲目などは「ガーネットクロウの凄さ」を理解させられる素晴らしい曲らであるが、今までの作品に比べると「極めて突出した曲」とか「作品を象徴している」とかとは言えないと思う。バラけて収録されたシングル曲も「完璧にアルバムオリジナル曲と馴染んでいる」とは言えないが、今までのアルバム程には違和感なく作品に溶け込んでいるのではないだろうか。まあ、あくまで個人的考えではあるが・・・。
つまりは、今までの作品の中でも最もアルバム全体の流れが考えられて制作されているのでは、ということなのだ。
だが、あえて言うが、この試みはある程度作品の質を高める成果を挙げはしたものの、「完全に成功した」とは思えないところがある。
その最たるものは、「今宵エデンの片隅で」の存在。単曲としては決して悪くはないのだが、その曲調は前後の曲とのつながりを切ってしまっており、且つ比較的まとまりがあるであろう今作の中において唯一浮いてしまっているように思う。この曲は収録しない方が良かった。「メルヘヴン」タイアップに依存しすぎた販促戦略の顕著な弊害である。
また、「まぼろし」の編曲変更は個人的にいただけなかった。シンプルではあるが、深さやスケールの大きさを感じさせるシングルの編曲の方が断然良かったと思う。編曲を変更するのであれば、「管弦四重奏」とか「フルオーケストレーション」とかにしてほしかった・・・。
そして、中村の歌唱の飛躍的な成長・やや抑え目の編曲・突出した完成度や特徴のない曲といった点らが、良くも悪くもガーネットクロウならではの「クセ」「らしさ」というものを幾分薄れさせしまったようにも思う。多様さのある作品と言うのも、裏を返せば「散漫で何をやりたいのかがわからない」とも言えよう。ただ、一方でこれらことが「今まで作品の中で一番の聴きやすさ」を今作にもたらしたのだとも思う・・・。ベストアルバムを除き、一番の「入門用アルバム」ではないだろうか。
<私的総論という名の雑論> 今作を聴いて、ガーネットクロウは、今年私が非常に高い評価をしたFayray・宇多田・ASHADAといった「完全プログレ」ないしは「それにかなり接近したアーティスト」とは違い、「
変態になりきれない」「開き直れない」 のだなと確信した。それはガーネットクロウらしさではないのだと・・・。
結局彼らはファンや会社、スポンサーやタイアップ番組の意向を完全に振り切れない。私的には彼らに対する「もの足りなさ」を感じる一番の理由でもあるが、一方で決して「独りよがりにならない」「ファンを裏切らない」という彼らの良さでもあり魅力でもあろう。彼らならではの独自性を出しながらも、決してマニアックで偏狭な音楽にはならず、メジャーアーティストとしての視点をも兼ね備え続ける・・・。これがガーネットクロウの「進む道」なのだろうと・・・。だがら、それに不満を感じるというのは、彼らの考えと自分の考えとが合致していないに過ぎない、ということだ・・・。
う~む、それにしても今作の存在によって今後どのような方向性に進むのか、益々わからなくなってきた・・・。だからこそ面白くもあるのだが・・・。
・アーティスト評価 歌唱力 10 () 作曲 10 () 編曲 9 () 独創性 10 () 安定性 10 () 格 9 () 総合 10 () 熱中度 10 ()
2006/10/09 22:39|アルバムレビュー |トラックバック:0 |コメント:15 |▲
●EVANESCENCE 「ザ・オープン・ドア」(初回生産限定盤)(DVD付) 85点 ジャンル:ラウドロック ミクスチャー ハードロック メタル ゴシックメタル プログレ (2006/9/27) 1. Sweet Sacrifice 2. Call Me When You're Sober 3. Weight Of The World 4. Lithium 5. Could Nine 6. Snow White Queen 7. Lacrymosa 8. Like You 9. Lose Control 10. The Only One 11. Your Star 12. All That I'm Living For 13. Good Enough <問題点・注意点> 1・ミクスチャーやラウドロック的躍動感や爽快さは後退 2・荒涼とした雰囲気や冷めた雰囲気が後退し、ひたすら暗くて重い作風 3・エイミーの歌唱を前面に押し出した作りは時に冗長さを感じさせる 4・作風のくどさのわりに曲数が多い 5・8曲目以降の失速感が気になる
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2003年に発表した1stアルバム「Fallen」の1400万枚に及ぶ大ヒットをして、一躍トップアーティストの仲間入りを果たすのみならず、さらには全米や欧州、果ては日本における「ヘヴィーミュージックブーム」をもたらすなど、シーンにおける歴史的な役割を果たしたモンスターグループ、エヴァネッセンス。 しかし、短期間でとんでもない成功を得たアーティストの、その後に往々にしてある不幸~人間関係や利権関係でのトラブル、ファンからの多大な期待という名のプレッシャーやそれによるストレス・・・etc~。メインソングライター兼ギタリストである実力者ベン・ムーディーのライブ中における突然の失踪・脱退、元マネージャーとのトラブル、長年交際した恋人との別れ、執拗なストーカーからのまとわりつき・・・、などなど彼らもそのご多分に漏れず様々な苦難や問題に絡まれないしは引き起こし、いつしかその活動は完全に停止してしまった。それから早3年。誰しもが、グループそのものが空中分解し、もはや「歴史に名を残す伝説の一発屋」になると思っていた矢先のニューアルバムリリースの情報・・・。 だが、リリースに対する喜びと同時に誰しもが感じたのは、「優れた作曲家であるベン・ムーディーの抜けた穴は埋められたのか?」の1点に尽きるだろう。そして、それは今作の評価を大きく決定付ける因子でもある。で、この問いに対する自分の結論はと言うと、卑怯ではあるが「イエスでもありノーでもある」 としか答えようがない。 音楽性に関しては、1stアルバムにあったアメリカのミクスチャーやラウドロックらしい爽快なノリや分かりやすさが後退している。それに変わり大きく今作を特徴付けているのが、歌メロやサウンド構成、などなど音楽を構成する要素の複雑化・壮大化である。聖歌隊によるコーラスやクワイヤの頻繁な使用はそれを裏付けるものであろう。それらは、ここ数年におけるエイミーを取り巻く環境やそれによる様々な心的鬱屈・苦悩を表わしているかのようだ。アメリカ人アーティストのエイミーではあるが、こと楽曲に関しては、より欧州のゴシックメタルやメロディックメタル、さらにはモーツァルトの楽曲をサンプリングした7曲目に見るようにクラシック音楽にも近づいた、ディープで芸術的で耽美な作風になっていると言えるのではないだろうか。(3曲目などは「Kamelot」っぽい)。ギターで作曲していたベン・ムーディーの脱退及び、彼の代わりに今作のメインソングライターとなった彼女の、幼少時において9年間もの間クラシックピアノを習い、さらに合唱隊参加といった経歴とそこで培われた思考の影響が確実に反映された結果であろう。 そういった音楽性や楽曲に対する確固たる自信の現われか、彼女の歌唱も1stアルバムとは比べようがないほどに力強い。1stにあった甘さや淡々とした歌唱がほぼ完全に消失し、上記あるように彼女の鬱屈した感情を吐き出すかのように凄まじい激情や暗さに満ちている。聴いていて息苦しくなってくるぐらいに・・・。前作で感じたのと同様彼女が突出したアーティスト、シンガーであることを改めてファン・聴き手は感じ取ることが出来るだろう。 音楽的な完成度で言えば、個人的にはムラっけのあった1stアルバムよりも全体的に安定し、より深みや感情表現の増した楽曲、進化した歌唱を見せる今作の方が上であると思う。 しかし、必ずしも「完成度が高い=素晴らしい作品、好きな作品」とはならないのが常。今作にもそのことが顕著に言えるのではないだろうか。今作における最終的な評価は、エイミー主導がもたらした上記今作の作風に関して聴き手がどう捉えるかだろう。 個人的には、主にベン・ムーディーがもたらしたであろうアメリカ的ラウドロック・ミクスチャーが持つ爽快さや先鋭さ強靭さと、エイミーがもたらしたであろう美しい歌メロや欧州的雰囲気を感じさせる荘厳さとの高度な融合とそれらがもたらす「楽曲から漂う荒涼感、醒めた感、ヒンヤリした感」、それでいて「爽快でノリも良く分かりやすい」というエヴァネッセンスならではの確固たる魅力であり特徴でもあったことが薄れているのが非常に残念であった。特に、前作にはあった起承転結がはっきりとした歌メロとバックのシャープな演奏が、今作ではエイミーの歌唱を全面に押し出さんつくりとなったためかやや冗長気味になっていたのは、今作において一番気になった点である。感情の入りすぎて重苦しく暗めの歌唱もあり、どうしても「くどさ」や「重さ」ばかりを感じてしまう。まあ、「今回の作品思想がそうだから」と言われればそれまでなのだが、この傾向が強くなる8曲目以降の曲は、まだ前作の要素があったであろう7曲目までの曲と比べると失速感がどうしても否めなかった。 以上の話を踏まえた上での、1stと2ndとの比較に関する私的結論は、「全体的な完成度(=ムラのなさ)では2nd、単曲単位では1stの方が魅力的な曲が多いし彼らならではの個性が出ている」 となる。 「ベン・ムーディー脱退」という1大事件をネガティブに捉えての「1stの方が良かった・・・」といった意見や、今作への反発意見は十分に理解できるし、自分もそう思うところがある。ただ、そういった先入観にとらわれさえしなければ、今作は長きに渡る活動停止状態からの復活作として非常に素晴らしい作品ではないだろうか。まあ、出来れば次のアルバムを作るときには、彼女を取り巻く様々な問題が解決されていればと思う。待たされるのはもう嫌。
2006/10/08 18:15|アルバムレビュー |トラックバック:0 |コメント:0 |▲
・評価:35点 (多部未華子ファンなら50点)*原作本は未読です 本当は「シュガー&スパイス」を見に行く予定だったのですが、既に「縮小上映」となっており、休みの日や仕事終了後に「レイトショー料金」 で見ることが不可能になったので、急遽話が良さそうで、さらには、10代屈指の演技力を持つ女優で、あの宮あおい様と同じ「ヒラタオフィス」に所属する「後輩」でもある多部未華子が主演ということもあり、今作に変更したのだが・・・。 (ヤマザキの「中華まん」CMで変な踊りをしている女の子(こちら) ) 見に行ったことを心底後悔した映画であった。「バックダンサーズ」「ワイルドスピード」「デスノート」「ケータイ刑事 THE MOVIE」らと共に、今年の「ワースト映画大賞」最有力候補の作品と相成った。 しかも、見る前から「ダメ作品だろうな~」との予想をしていた上記作品とは違い、それなりに期待していたことからショックもひとしおであった・・・。
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<あらすじ> 生徒全員が夜でも目立つ白ジャージに身を包み、24時間かけ80キロもの距離を歩く北高校の伝統行事である「歩行祭」。 ただひたすら歩き続けるという過酷極まりないこの行事に対する生徒からの反発が多いものの、長きに渡りこの行事が続いているのには、伝統行事が故に持つ「非日常性」と「過酷さ」に、一方で普段話さないような話~悩み・恋バナ~を友人やクラスメイトと交わすのやそのことによる友情の深まり、さらには異性との愛情の成就といったことを促進させる不思議な力・魅力があるからだろう。 そういったこともあり、この行事に特別な想いで望む生徒は少なくない。今年高校3年生で最後の「歩行祭」を迎えることになった甲田貴子(多部未華子)もその一人であった。 彼女はある時から秘密を抱えて生きていた。それが故にその秘密をしる唯一の人物である西脇融(石田卓也)との間にあった高校3年間におけるわだかまりを解消するため、この行事中に彼に「話しかけること」をこの行事を通じての、自分の「賭け」にすることにした・・・。 しかし、そんな彼女の心境を「西脇に惚れている」と勝手な解釈をした友人達~西脇の友人である忍(郭智博)、貴子の友人である梨香(貫地谷しほり)、千明(松田まどか)、高見(柄本佑)~らは彼らをくっつけようとあれやこれやのおせっかいをやく。しかし、そうすればするほど当人達は反発するだけであった・・・。どんどん過ぎてゆく時間、その間に起こっていく様々な人間ドラマやアクシデント・・・。果たして彼らはお互いに話し合い、わだかまりを解くことが出来るのだろうか・・・。<感想など> 冒頭にも書いたが、以下の評価・感想は「原作の未読」が前提となっているので、その点ご留意していただきたい。 まず、今作の一番の問題は、話の根幹となる謎、つまりは貴子と西脇との関係の謎が最初の10~15分の段階で早分かってしまう(容易に推測できる)ことにある。どころか、(後で確認して分かったのだが)パンフレットや公式サイトのあらすじ説明のところで完全にバラされてしまっている。この時点で今作を見る意味の大半が焼失したと言えるだろう。 原作がどうなっているのかは分からないが、仮に序盤で謎が解明されていたとしても、恩田の筆力と構成力などによってそれなりに読み進めるに足る何かがひょっとしたらあるのだと思う。だが、実写映像となる映画においては・・・。 既に鑑賞者にはばればれの謎(但し、作中の友達やクラスメイトは知らない謎)の解明とそれによる話のオチを見るために、残り1時間40~45分くらいの「ただひたすらの歩行シーンとそこでのとりとめもない会話、景色」を延々と見させられることになる。登場している役者の演技は、「がんばっているな」と思えるところが多々あるが、それでも淡々と描かれていく歩行シーンを魅力的に見せるには達していない。というか、どんなに演技が上手くても不可能であろう。 さらに、輪にかけたように演出が最悪だ。要所要所に挿入されるアニメーションやCG、恐らく第二次大戦での「空爆」と思われし映像の挿入、唐突にはじまる舞台演劇、場面に関係なくBGMとして盛り込まれる「ハードロック」「メタル」をはじめとした音楽、登場人物の服装がいきなりコスプレ衣装と化す・・・などなど、こういったものが、「淡々としたリアル」を刻んでいるだけの今作の雰囲気=リアリティーを一気にぶち壊し、淡々としながらも爽やかさや少しの感動があるであろう青春映画である今作を酷く安っぽいものに貶めてしまっている。申し訳ないが、見ていてうんざりしてしまった。まあ、音楽はどれも名曲が使用されているので、私のような音楽好きな者にとってはありがたいが、それでもそれが映画を面白くしているとは断じて思えない・・・。完全に話の世界をぶった切っているので・・・。ただやかましいだけの高見(柄本佑)の設定も演技も最悪。この人物がいないだけでも、さらには、アニメーション映像の部分を実写にするだけでも、映画としてだいぶマシになっていたと思う。 結局のところ、身も蓋もないが、ファンタジックな要素が強いであろう今作を安易に実写にしてしまったこと自体が間違いであったように思う。世の中には活字だからこそ面白いもの、漫画だからこそ面白いものが確実にあるのである。 今作を見ることにあえて価値を見出すとすれば、ある程度以上年をとっている人にとって「高校時代の甘酸っぱい青春の思い出を想起させられる」ぐらいしかないだろう。 または、今作の主役である多部未華子。または出番こそ少ないが今作において極めて重要な役割を演じている加藤ローサや、数多くの男達を惑わすモテモテの生徒を演じる高部あい、しっかりものの運営スタッフを演じている近野成美といった美女達を見ていれば幸せ、という人でもない限り・・・。原作や恩田陸のファンが安易に手を出すと非常に危険な作品だ。<多部ちゃん論> 殆ど見所がない今作ではあるが、その中で一番の輝きを発していたのは、やはり主役である多部未華子であろう。彼女はお世辞でも「美人・スタイルが良い」とは言えない。が、作中で随所で見せる「鑑賞者を射すくめるかのような鋭い目線」や「強烈な存在感を見せ付けるたたずまい」、「複雑な感情を表現できる演技力・表情の多彩さ」は、ここ数年における彼女の大躍進を裏付ける素晴らしさがあったと思う。彼女もスクリーンを通して自らをより魅力的なものとできる数少ない女優であろう。先輩である宮あおいと同様、今後の日本の銀幕を担う重要な存在となるのは間違いない。
2006/10/07 23:02|映画評 |トラックバック:0 |コメント:5 |▲
●熊木杏里 「風の中の行進」 91点 ジャンル:J-pop フォークソング ロック (2006/9/21) 1. それぞれ 2. 一期一会 3. 風の記憶 4. 明け方の操縦士 5. 戦いの矛盾(ALBUM VERSION) 6. 囃子唄(ALBUM VERSION) 7. 流星(ALBUM MIX) 8. 天命 9. ノラ猫みたいに 10. 顕微鏡 11. しんきろう(ALBUM VERSION) <問題点・注意点> 1・1stアルバムの頃にあった殺伐とした雰囲気や暗さ、キレにキレたメロディーがない 2・曲中に存在する政治色は聴き手を選びそう 3・ゆったりとしたバラード曲が多目 4・前半の曲に比べると後半の曲が弱い
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数多くの女性アーティストが存在するが、その中において唯一人
「至高且つ孤高のシンガーソングライター」 と勝手に称し、最高の評価をしているアーティストがいる。その名は熊木杏里。2005年、長きに渡る沈黙を破り出した2ndアルバム「無から出た錆」は、当年の「最優秀アルバム」及び「名盤」に選出するほどの素晴らしい完成度であった。劇的な復活を遂げたと言ってもいいだろう。
しかし、2ndアルバム以降に送り出された「シングル」~「戦いの矛盾」は、往年のフォークソング色やそれと繋がりやすい「政治色」「反戦色」が強く、彼女ならではの「予測不可能で鋭いメロディー」を感じ取ることが出来なかった。「それはちょっと違うだろうと・・・」。
そういうこともあり、今年に入ってからは彼女に対する気持ちに揺らぎが生じてもいた・・・。よって3rdアルバムである今作に対しても、それほど期待はしておらず、最悪は「ファンを辞めることになるかも」とすら考えていたのだが・・・。不安交じりで聴いた今作は、彼女が「至高且つ孤高のシンガーソングライター」である所以を改めて感じさせられる良盤だと思う。
前作「無から出た錆」において、自分の復活のきっかけとなった様々な人々の優しさや自己の人間的・心理的成長により自らの「錆」を落とし、再生と浄化を果たしたこともあってか、今作は2ndアルバムにもあった「生きとし生けるもの」や「自らをはぐくんでくれた自然や家族、仲間」に対する慈愛・感謝の念」を優しく丁寧に歌い上げていく、という方向性がより一層強まった内容になっている。1stアルバムの頃にあった「殺伐とした雰囲気」「厭世的な雰囲気」「他者を寄せ付けない雰囲気」「ひねくれた感」はもう殆どないと言ってもいいだろう・・・。
まるで、悟りの境地に達したかのように、周りの人々から受けた優しさを今度は聴き手、いや万人に与え、それらの助け・支えにならんとする彼女の強く前向きな意志に溢れている。今日の階層社会の問題を歌った5曲目、沖縄の基地問題を歌った6曲目、何気ない日常や人同士のつながりの大切さを歌った7・10曲目は、その象徴とも言うべき楽曲だ。ただ、「自分のこと」を赤裸々に語っていた以前に対し、表現対象を限定しないより普遍的な領域へと達しているのが、今作の以前とは確実に違う特徴ではないだろうか。彼女の生活・心理状態の充実振りをうかがい知ることが出来る。
このことを示すかのように彼女の歌唱も、何者にも汚すことが敵わないぐらいに清廉さと穏やかさ、温かみ・深みを見せる。とにかくその「美声」としか言いようのない声質と繊細で丁寧で情感のこもった歌い回しが極上に心地よく、うっとりとしてしまう。クサイ表現だが「心が洗われる」。この歌唱を前にして、「技術的に云々」と言うのことに何の意味があるのだろうか
そして、その歌唱の魅力を余すことなく引き出しているメロディーと編曲及びそれらの一体感も相変わらず見事と言う他ない。前作以上にサウンドがシンプルになってはいるが、アコースティックギターやパーカションを主軸としたシンプルな吉俣の編曲は、昔某お酒のCMにあった「何も足さない 何も引かない」と言うべき見事さ・はまり具合で彼女の心理や楽曲の世界観、流麗で独特なメロディーらを確実に補足・強化している。
昔から何度も言っているが、彼女の歌唱・メロディー・詞と吉俣の編曲との「不可分」とも言うべき一体感が、熊木杏里を「孤高且つ至高」の存在にしているのだとつくづく思う。チャートを賑わしたり、大手事務所のごり押しが目立ったりするアーティストにはない確固たる且つ不変の魅力・・・。
但し、1stアルバムのような殺伐とした感や彼女ならではの変則的でシャープなメロディーに魅力を感じていた人にとっては、穏やかでまったりとした曲調・作風や、政治的な色合いを含んだ詞に抵抗を感じる可能性があるだろう。また、コミカルさやかわいらしさ、ビートルズからの影響を感じさせるロック的なダイナミズムをはじめ、様々な曲調と表情とを見せた2ndアルバム収録曲と比べると、ゆったりとしたバラード曲が多い今作は、多様性という点で明らかに後退している。さらには、このことが影響したのか、中盤から終盤にかけての圧倒的な盛り上がりがなかったのは、今作を考える上で残念な点であった。
とは言え、さらなる深みや温かみを増した「あんりこワールド」にファンはもちろん、そうでない人もきっと満足していだける作品ではないだろうか。スマップの楽曲起用など「超強力タイアップ」として知られる「資生堂」の、しかも「企業広告」のイメージソングとして起用された
(こちら) こともあり、今後の活動が楽しみだ。
・アーティスト評価 歌唱力 9 () 作曲 10 () 編曲 10 () 独創性 10 () 安定性 9 () 格 9 () 総合 10 () 熱中度 10 ()
2006/10/05 01:35|アルバムレビュー |トラックバック:0 |コメント:0 |▲
●西尾維新 「DEATH NOTE アナザーノート ロサンゼルスBB連続殺人事件」 (5点/50点) さてさて、ブログ停止やら何やらでだいぶ間が空いてしまったこともあり、放置したままになっていた書評の続き(前回はこちら) を片付けようと思います(汗
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まず、今作はミステリー云々以前に「読み物」としても酷い点が多々目に付く。やはりその最たるものは、「オレは上手いんだぜ」というナルシスト思想をプンプン感じる「回りくどい文章」にある。これは、この作者のみならず、舞城王太郎とか伊坂幸太郎とか奈須きのことか笠井潔とか・・・、いわゆる「新世代ライトノベルズの担い手」ないしはそれに近い位置づけでもてはやされている作家の多くに共通しているのであるが・・・。 やたらと言葉に凝ってて長ったらしい割には、その言わんとするところは全く大したことがない。設定も話しの筋道もただ「いちびっている・変わっているだけ」で「フィクション作品」としての「リアリティ」や「論理性」に欠け過ぎ・・・。東野圭吾とか真保裕一とか乃南アサといった「平易な文章で読み手をひきつける文章力と内容を提示する作家」らと比べると酷いったらありゃしない。今作はその例をあまりに見事に踏襲しすぎている・・・。(無駄な文章や単語を削っていったら本来の量の半分以下になるだろうが) この辺の所は直に読んでいただいたほうがはるかに分かるので、本筋のミステリー面に話を移す。 まあ、今作の謎解きに関する感想を一言で言えば「ゴミ」 の一言に尽きる。全体を通してあまりに問題が多すぎてそれを列記&解説していくだけでも一冊の本が出来るくらいだ。 ここでは、P50ページ以降から始まる謎解きについて言及する。 ここら辺りから、いわゆる殺人犯が殺人現場において捜査する人間に対し残されたであろう「メッセージ」の解読が始まるのだが・・・。話の前提を「赤ずきんちゃちゃ」のコミックの「4巻と9巻を抜き取られたこと」にしている点で早くもゴミ。 さらに輪をかけるように、それに理屈ならぬ屁理屈を塗りたくっていく・・・。 この抜き取られたコミック2冊の総ページが「376」 。そして、その漫画のページと「死者に刻まれていたローマ数字」をつき合わせ、刻まれた数字に該当するページで「最初に書いてある英単語の一番最初の文字」を組み合わせて・・・。ようはそれで一つの意味をなす英単語=被害者の名前が出来るということだそうだ。 ここにおいて、ページが376しかないので、被害者に刻まれた1000以上の数字はページを2巡することで(例:476であれば300+176ということ)などなど、よくもまあここまで屁理屈を屁理屈で繕った推理が出来たものだと反吐がでる。 他にも「1+3=B」とした、いわゆる「数字の置換」や「人間の認知システム」を利用したトリックが仕掛けられてはいるのだが、そこにおいて「22」は「10の位を1の位に移動させれば13」になる(P110)や、 (P144)イニシャルが「Q・Q」の子供を今作の犯人である「B」を連想させる符号にするため、その子供を裏返して殺す(Bの小文字はb。それをひっくり返すと「q」になる) などなど、とにかく著者の自己満足に過ぎない屁理屈だらけのアホトリック・アホ解説のオンパレード。もうストーリーどうのこうの以前にこれら話の大勢を占めるアホトリックが完全に浮きまくり且つ幼稚すぎてまともに読む気になれない。 少年少女向けのミステリー小説ならともかく、こんな意味も論理性も無いちゃちな謎解きを~絶対に読者が類推不可能なそれをいい年した大人がいい年した人対象に読ませる作品で、よくもまあ~恥ずかしげもなく出すな と心底思う。 しかも、本筋とは関係ないどころか無意味すぎる文章や単語&ここまで手の込んだ?トリックとやらを散々見せ付けられた挙句に示される「話の真相」(=メインのトリック)に関しては酷くヘボだから全くお話にならない。 これは自慢でも何でもないけれど、今作の序盤で・南空が「L」と通信でやりとりしながら「竜崎」と一緒に捜査している ・犯人の名は「ワイミーズハウス」出身者である「B」(ビヨンド・バースデイ) という事実が判明した段階で、今作の内容・トリックをほぼ完全に、しかも物凄く簡単に読めてしまった(=某人物の正体と何故その人物が●に扮したのかの理由)。読解力・推理力が著しく低いこの私でもだ・・・。 しかし、どこの世界にも自分の才能を勘違いしている輩は存在する。真の問題は、低レベルの作家が存在していることではなく(もちろん問題ではあるけど)、その低レベルの作家を恥ずかしげもなくもてはやしている日本の文学界・ミステリー業界にある。こんな作家ら(横山秀夫や伊坂幸太郎らもそうだけど)しか持ち上げられないのであれば、ミステリー業界なんてものは(「このミステリーがすごい」がその代表だね)1回死んだ方がいい。業界に携わっている人間として本気で思う。 それにしてもこのレベルの作品をデスノートのアナザーストーリーとして出すことに、原作者の大場つぐみや出版元である集英社がよくも了承したものだ。やっぱり金なのか? 自分が原作者であったら絶対に没にする。
2006/10/04 21:29|読書評 |トラックバック:0 |コメント:2 |▲
今日はガーネットクロウのニューアルバム試聴とか、「24」の鑑賞とか、ガーネットクロウのニューアルバム試聴とか、「24」の鑑賞とか・・・、の繰り返しというあわただし過ぎる一日。いろいろ大変なのに、やっぱりやっていることに何ら変わりがありません。 「24」はあいも変わらずサイコーですが、ガーネットクロウはどうでしょうか。わずか数回の試聴では今作を捉えきれようもはずもなく・・・。 確実に言えるのは、今年に関してはFayray・宇多田・ASHADAの3アーティストを筆頭にかなり優れた作品がいっぱいありますので、評価はやや厳しくなるということですね。 まあ、間違いなく良盤ではありますが・・・。既に素晴らしいと思える点と悪いと思う点ははっきりしてきました。
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というわけで、今日はあまり時間がとれませんので某所からの使いまわしネタの訂正加筆版を・・・。
先日、大阪を中心に活動しているインディーズバンド「RAMPANT」のボーカルの方からメールをいただきました。
バンドの音楽性の紹介と是非レビューをやっていただきたい、との内容で、特に後者に関しては驚いてしまいましたね。このようなご依頼は初めてでしたので。
順番が逆になりましたが、このRAMPANTというバンドは、女性ボーカルで(私的印象では)HEAD PHONES PRESIDENTやKORN、エヴァネッセンスにも通ずるミクスチャー・ラウド系の音楽をやっておられます。
試聴はこちら 上記URLにおいて2曲聴くことが出来ますね。共に試聴音源が故に、特に1曲目はライブ音源ということもあり、音質はお世辞でもいいとは言えないのですが、それでも2曲目の「CALL」は、ボーカルの繊細でエモーショナル歌唱と民族音楽的ドラムのリズム感がいいですね。後半の泣きのギターも素晴らしい。結構気に入っていて最近少し時間が空いたときに頻繁に聴いております。この音源だけでは分かることは少ないかと思いますが、これからの成長・活動に大いに期待が楽しみです。いずれはメジャーデビューを勝ち取ってほしいと思います。
シングルなりアルバムなりが出たときには購入してレビューしようかと思いますね。
2006/10/03 22:14|バツ丸の戯言 |トラックバック:0 |コメント:6 |▲
・評価:80点 (マサミストは90点)
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<あらすじ> 新垣洋太郎(妻夫木聡)は、将来自分の飲食店を持つという夢を果たすため、16の時に高校を中退し住んでいる島を離れ、沖縄本島の那覇市の市場や飲み屋で日々バイトをし、懸命に生きていた。 そして2001年の春。島で祖母と一緒に住んでいた妹のカオル(長澤まさみ)が高校進学のため洋太郎の居る那覇に来ることになった。 実はこの2人血が繋がっていない。洋太郎が8歳の時、洋太郎の母とカオルの父との再婚により兄妹関係となったのである。しかし、父が蒸発し、母が若くして病死したこともあり、それ以来お互いは洋太郎の祖母を除いて唯一家族と言えるかけがえのない存在となった。特に洋太郎は「一人ぼっちのカオルを守ってあげるのよ」の母の遺言を胸に懸命に生き、カオルに惜しみない愛情を注ぎ支えていく・・・。5年ぶりの再会で、すっかり成長したカオルの姿に彼は驚きつつも、2人は昔と全く変わりない、それこそ実の家族以上の絆・愛情の深さに満ちた共同生活をしていく。洋太郎の恋人である恵子(麻生久美子)や友人(塚本高史)らや、人情味溢れる町の人々にも支えられ、2人の生活は万事洋太郎の夢実現に向け着実に且つ幸せに進んでいるかと思われた・・・。しかし、その幸せな生活に突如終わりが訪れる。 お金がたまり、さらには洋太郎が勤務している居酒屋の常連客からの協力もあり、ようやく自分の店の開店へとこぎつける。だが、皆がその喜びに浸るも束の間、実は常連の男が詐欺師で店の権利もろとも勝手に他人へと売り渡されてしまったのである。彼に残されたのは、店の開店のためにした「多額の借金」だけであった。 悲観にくれる洋太郎とカオル。それをきっかけに周りの人間のみならず、兄妹の関係にもギクシャクしたものが生じてしまう・・・。だが、それは、洋太郎がこの事件で恋人恵子と別れたことにより生じた、兄妹を超えた感情が故でもあった・・・。そして・・・。<感想など> 血が繋がっていない兄妹の絆・愛情を沖縄の自然の美しさ、そこで生活する人々の人情味を通し堪能できる、ある意味典型的な「感動作品」である。 しかし、ある意味定番且つ平凡な設定・ストーリーである今作を優れた作品たらしめたのは、主役である長澤・妻夫木の強烈極まりないマンパワーとそれに立脚した演技、役にかける意気込みの強さであろう。というか、この2人以外が演じていたとすれば、単なる「純愛系・癒し系」の「凡作・駄作」に止まっていた可能性が非常に高かったのではと思う。 もう、出だしからとにかく長澤の強烈無比なビジュアルパワーが炸裂。こういった血の繋がらない兄妹の関係を扱った作品に必須の、「兄ですら惚れてしまいそうな危険な魅力を醸し出している妹」をまさにごり押しで演じきっている。序盤兄の部屋で扇風機に向かって「あ~」と言っている所や、兄の食事を横取りするところで、マサミストなら早KO間違いなし。途中兄の彼女から2人の微妙な関係を察知される場面があり、強いてはそれが兄と兄の恋人との別れにも繋がるのであるが、長澤の圧倒的な魅力が「それもさもありなん」という役柄の説得力を凄まじく強化している。 演技も非常に素晴らしかった。兄の彼女から「何故兄と付き合うことになったのか」の理由を聞いているところや、「兄のお堅く真面目な性格に対する不満」を言うところなどは、「愛されて育った甘えんぼの妹」の雰囲気がこの上なく出ていて、かわいくて仕方がない。肝心のお泣かせ場面に関しても秀逸で、過去のどの作品の演技をも上回っていると言えるだろう。特に自分のために身を削り、人生すら犠牲にしている兄との喧嘩場面、さらには思いを寄せていながらも、そうであるが故に兄の家から出て行く場面、そして終盤&ラストで●●するところは、この私ですらグっとクルものがあった。もちろん、元来の魅力である「多彩な表情」と喜び・悲しみ・嫉妬といった様々な感情を内包した憂いを帯びた表情の素晴らしさも顕在。観覧車から兄と兄の彼女を見つめる場面はその顕著な例である。 「タッチ」「ラフ」においては、どちかというと「アイドル」としての長澤が求められたきらいがあり、演技をする女優としての実力・魅力の発揮の場が与えられなかった。酷い言い方をすると血が通っていないとも言うべきか・・・。故に「アイドル映画」とか「長澤のPR映画」との批判があった。しかし、今作には、長澤がこの役を演じることに対する説得力があり、何より彼女の魅力・実力が作品をより良くするために必要とされていることが見ていて文句なしに理解することが出来る。「深呼吸の必要」以来久々に見る「女優長澤まさみ」の真の姿がここにある・・・。 こういったことに加え、制服・ファミレス服・浴衣・メイド服っぽい掃除作業服・沖縄ゆえの露出過多の衣装・そして●服などなど、ビジュアル面でも大いに楽しませてくれるのだから、マサミストにとっては文句のつけようもない。 しかし、今作を高評価にしたのは、まさしく「無敵」とも言うべき魅力を見せた長澤まさみの一人舞台にならず、映画のバランスが崩壊しなかったことにあろう。 長澤演じるカオルを支え・愛してきたもう一人の主役である兄を演じた妻夫木の発す「善人オーラ」「爽やかオーラ」も、長澤のオーラに負けない程に凄く、健気に妹を支えてきた「にーにー」(兄)としての説得力に満ち溢れていた。もう私のような人間にとっては永遠に持つことが叶わないものであろう(少しでいいから分けておくれよ、と願わずにはいられない。)。見ていてまぶし過ぎるぞ、おい!! 間違いなく現時点における妻夫木の最高の演技であると思う。 この2人の圧倒的なビジュアル的魅力とそれに立脚した表情豊かで気持ちの入りまくった演技が、「血の繋がっていない兄妹の愛」という一歩間違えば淫靡で不健全な方向へと行ってしまう危険性のある設定・ストーリーを、極めて健全で感動的で良質な「兄妹愛」「人間愛」を描いたそれとして完璧に成立させてしまった。「げに恐ろしきかな」の一言に尽きる。映画史上に残る「兄妹」役であると確信している・・・。 話が長くなりすぎたが、兄の恋人役を演じた麻生久美子も流石の良さを見せたと思う。長澤にはない知的さや上品さに溢れる大人の魅力・優れた演技力をして、かつてにおいて柴咲コウ・市川結衣・若槻千夏・速水もこみち・斉藤兄弟らをぶっ潰してきた長澤のマンパワーをかろうじて食い止めたと思う・・・。 (ファンだからこその欲目なのかもしれないが、個人的には長澤と共演するのは非常にリスクのあることだと思っている。彼女と共存できる俳優、共演して無事でいられる俳優はそうはいないだろう) と、まあ長澤中心に絶賛してきたわけだが、今作で唯一残念だったのは、いかにも沖縄を舞台にした映画らしいのんびりとした展開に反し、終盤のそれがえらくめまぐるしかったことがある。某人物の●も何か唐突な感が否めなかったし。もう少し終盤における「別れ」を中心とした人間ドラマを丁寧に描けていたら、と他が良かったが故に思ってしまう・・・。 しかし、その点を差し引いても、今年の秋以降における、若手女優が主役を張る映画の熾烈な競争の幕開けを予感させる優れた映画であると言えるだろう。先日レビューを書いた「フラガール」と合わせ是非とも多くの方に見ていただきたい映画である。<追記> 一度でいいから長澤まさみに「にーにー」と呼ばれてみたい。 次は宮あおいの「ただ、君を愛してる」と小西真奈美の「天使の卵」だな。この2作を見れば、今年の私的各種映画賞がほぼ決定する。 それにしても、エンディングで使用された「涙そうそう」は掛け値なしの名曲。この映画を見てからこの曲聴くと今まで以上に良く思えてしまう・・・。
2006/10/01 16:54|映画評 |トラックバック:0 |コメント:0 |▲